2/23 若い人のための日曜日の聖書  年間第7主日 マタイ 5:38-48

グアテマラの友人と撮った1枚

あなたの敵って、だれですか?

あなたには、今、敵がいますか?

私・・・敵はいません。

今までの人生でも、いなかったような気がします。

2004年に、『パッション』という映画が公開されました。

イエス様の十字架に至る12時間を追ったもの。

受難と十字架上の死のシーンがあまりにリアルで、私には衝撃的なだけの映画としか思えませんでした。

数年後にこの感想を私より若いグアテマラの友人に話したら、「だって、本当にああだったんだよ」と言われました。1996年まで内線があり、ジェノサイドが行われたグアテマラで育ち、お父さんが軍部に拷問されるのを目の当たりにした彼にとって、イエス様のリアルな受難は、かえって慰めであり、この映画に強い親近感を抱いていたようです。

リアルなシーンが「気味悪い」としか思えなかった平和な日本で生まれ育った私は、何だか彼に大変失礼なことを言ったように思いました。

さて、「愛敵の教え」を含む今回の福音箇所で、一番私の心に引っかかったのは、「しかし、私は言っておく」というイエス様の言葉です。

繰り返し出て来ては、今までの律法や世間の約束事をワンランク上に引き上げてしまう言葉。前半だけだって守れそうもないのに、レベルアップ。そして、まさに「言っておく」その内容の厳しさに、私はキリスト者として招かれているのです。愚かにも、そして幸いにも、洗礼の時には考えもしませんでした。

先週と同じく、「人にはできないことも、神様にはできる」(ルカ18:27)というイエス様の言葉に信頼を置いて、歩むしかないです。もうすぐ、灰の水曜日ですね。   (Sr.斉藤雅代)

 

≪聖書箇所≫ マタイ 5:38-48

(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。」
「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」