12/24・27 若い人のための日曜日の聖書 降誕の祭日・聖家族の主日 ルカ 2:1-4, 22-40

やっと最終日を迎えたCND宣教センター「友愛の家」玄関のアドヴェントカレンダー。

「雪の中、車中で聞いた産声」

こんなタイトルのニュースに目が留まりました。

17日の午後に実家の埼玉県で予定を迎える妻の出産に、大雪で立ち会いを阻まれた新潟の男性。

「行けそうにない」と連絡する夫。

「こんなタイミングになってごめんね」と答える妻。

事情を知った病院側が、新型コロナウイルス対策のために用意していたオンライン面会システムを急遽準備してくれて、男性は雪の車中で出産する妻に声をかけ続け、スマホ越しに赤ちゃんの産声を聞いたのだそうです。

2つの災害(コロナ禍と大雪)が思いがけない状況を生んだことにより、この若いご夫婦にとって、赤ちゃんの誕生がさらに感謝すべきものになったことは想像に難くありません。

 

「こんなタイミングになってごめんね」。

2000年ほど前、宿が見つからずに苦悩するヨセフ様に、マリア様もこんなふうにおっしゃったかもしれません。

しかし、どの出産も、またどの死も、神様が私たちに与えてくださる絶妙のタイミングなのでしょう。

特にイエス様の誕生と死は、それが昔々の私たちに関係のないこと、と思わない限り、いつも私たちにとって、最高のタイミングなのだと思います。

今年もクリスマスを迎えられることに感謝。

たとえ24日の夜に例年のように教会に行けなくても、神父様が25日の朝に修道院で非公開のミサをあげてくださることに感謝。

姉妹たちがそろってクリスマスクッキーが焼けたことに感謝。

お台所の隅で、ターキーが調理されるのを待っていることに感謝。

そして、災害の時に悲惨なニュースに混じって「ちょっといい話」を載せてくださるメディアの方々にも心から感謝です。(雪の中、車内で聞いた産声=立ち往生で間に合わず―病院配慮で「立ち会い」・関越道 (msn.com)

(Sr.斉藤雅代)

 

≪聖書箇所≫ ルカ 2:1-4, 22-40

(そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」

 

ルカ 2:22-40

モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。
《それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目で あなたの救いを見たからです。これは万民のために 整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」
父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます。――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」
また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。》
親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。