2017年8/27 若い人のための日曜日の聖書  年間第21主日  マタイ16:13-20

信者たちが接吻するために右足がすり減っている聖ピエトロ大聖堂のペトロ像

Facebook友だちの元同僚YK先生が、最近、かわいいぼっちゃんの言葉をアップしていらしたのが目に留まりました。

「神様、どうかK君(自分のこと)とママが、いい夢を見れますように」なんてお祈りポーズをしたりして・・・誰も教えたわけでもないのに。

こんな話を読むと、「ほらね、やっぱり神様ってだれの心の中にもいるのよ」とにんまりしたくなります。

もちろん彼だって、もう少し大きくなったらこんな祈りをしていたことなどけろりと忘れてしまうでしょう。

カトリックでは、親が子どもの信仰を保証する幼児洗礼というものがあります。

乳幼児の死亡率が高かった昔は生まれたらできるだけ早く、現在では生後三か月くらいのところで、親と代父母(英語で言えばGod Father, God Mother)が子どもの代わりに信仰を宣言します。

このような子どもたちも、いつか「与えられた子どもの信仰」を「自ら選び取る大人の信仰」にしていかなくてはなりません。

そこには少なからぬ葛藤があったり、「なぜ勝手に洗礼を授けたんだ」という怒りがあったり、残念なことに教会を離れてしまう人もいます。

でも、K君にしてもだれにしても、人生の途上で再び神様に出会うかどうか、その時神様としっかり繋がれるかどうか、それは神様にしかわからない、恵みの世界です。

 

今回の聖書箇所でイエス様は弟子たちに、「あなた方にとって、私はだれか」と問いかけます。

ペトロは大変立派な答えを口にし、「あなたはペトロ(岩)、教会の礎」とイエス様から大切な使命をいただきます。(もっともこの「立派な答え」には続きがあるのですが、それはまたの機会にお話しましょう。)

私たちも、「私にとってイエス様は、また神様はどなたか」と問いかけてみましょう。

ちょっと知っている人?

怖い方?

友だち?

親友?

先生?

メンター?

コーチ?

恋人?

ある神父様は「イエス様は僕の戦友」とお答えになりました。

この世に神の国を実現させるために共に戦う方なのでしょう。

私たちの修道会の創立者マルグリット・ブールジョワは、「イエス様は恋人」と表現しています。

そして、神様の目に私は「何者」として映っているのか、どのような使命を与えられているのか、イエス様の答えを聞かせていただきましょう。

もちろん、反発しても大丈夫ですよ。  (Sr.斉藤雅代)

 

≪聖書箇所≫ マタイ16:13-20

イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられ