今も南米で司牧していらっしゃるある神父様のお話を、昔うかがいました。
ある時、復活の新しい体についてごミサで説教したら、ミサ後、ハンセン氏病から回復した人たちが近づいてきて、「神父様、私たちも、復活の時には新しい体をいただけるのですよね」と嬉しそうな顔で確かめたのだそうです。病の後遺症で、体の一部が崩れていたり、手や足の指がなかったりする方々だったそうです。
私は、修練期(シスターになる前の研修期間)に一度だけ伺った、御殿場市の神山復生病院の元患者さんたちを思い出しました。もう何十年も前に完全に回復していらっしゃるのに、差別偏見のために世間に戻れなかった方々です。
ほとんどの方がもうご高齢でした。でも、何と言うか、みなさん、子どものような清々しさをもっていらっしゃいました。
この方々ほど、清さを望んでいらっしゃる方、そして実際に清くされている方はいらっしゃらない、と確信しました。同時に、私はどれだけ清さを望んでいるだろうか、と。
イエス様は、癒された人に口止めしました。このシーンをずっと不思議に思っていましたが、もしかしたら、イエス様ご自身が被る不利益の上に、この人がイエス様に癒されたことへの反発を受けるかもしれないと思われたのかもしれませんね。
四旬節の始まりである灰の水曜日まであと数日です。
清さを、心の清さを求めることができるよう、いとも清きマリア様、どうか助けてください。
(Sr.斉藤雅代)
≪聖書箇所≫ マルコ1:40-45
(そのとき、)重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。イエスはすぐにその人を立ち去らせようとし、厳しく注意して、言われた。「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。」しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた。それで、イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいない所におられた。それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た。