「思い通りにできる立場、というのは恐ろしいものです。どうしても、謙遜になれないですから」。
これを書いている今日はまだ10月1日、リジューの聖テレジアの日です。
今朝のごミサで、サレジオ会の北川神父様がおっしゃったのが、冒頭の言葉です。
聖テレジアの聖徳、そして今日の福音の聖句「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵のある者や賢い者にはかくして、幼子のような者ににお示しにないりました」、そして、明日の福音箇所を祈るのために、神父様を通して、神様から大きな宿題をいただいた気がしました。
修道生活が長くなれば、いやでも責任が増えてきます。しかも、修道召命の少ない昨今ですから、任命する方も任命を受け取る方も「役不足」は承知の上。それでも仕事がうまく回り始めると、知らないうちに鼻が高くなってしまいます。
「私は取るに足りないはした女です。しなければならないことをしただけです」と、心から言える者になりたいです。
おりしも、修道院は金木犀が満開です。普段は目立たない木が、一斉に金色の小さい花を付けて、車通りの激しい道の向こうまでふわりと香っています。
この木の花のように、キリストの香りをそっともたらせる者にしてください。
≪聖書箇所≫ ルカ 17:5-10
使徒たちが、「わたしどもの信仰を増してください」と言ったとき、主は言われた。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。
あなたがたのうちだれかに、畑を耕すか羊を飼うかする僕がいる場合、その僕が畑から帰って来たとき、『すぐ来て食事の席に着きなさい』と言う者がいるだろうか。むしろ、『夕食の用意をしてくれ。腰に帯を締め、わたしが食事を済ますまで給仕してくれ。お前はその後で食事をしなさい』と言うのではなかろうか。命じられたことを果たしたからといって、主人は僕に感謝するだろうか。あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」