先日、6月末に堅信を受ける方から「堅信名を教会に届けなくてはならないのですが」と相談を持ちかけられました。
私は、洗礼と堅信を違う時に受けたにもかかわらず、名前は同じガブリエラ。
「同じ名前でもいいし、洗礼名にいただいた聖人の他に尊敬する聖人がいればその名前でもいいし…」、そんな話をしました。
それはともかくとして、今回の福音箇所の、十二使徒の名前がずらりと載せられている箇所を読んで、ふと、十二使徒の人気ランキングとか、洗礼名に十二使徒の名前をいただいている男性のうち、どの名前が多いのかしら、ペトロかしら、ヨハネかしら、などと考えてしまいました。
ヨゼフやパウロも人気の名前ですね。それに、教皇様と同じフランシスコ!
さて不謹慎はここまでとして、今回の福音箇所には、イエス様が「飼い主のいない羊」のような私たち信徒のために十二人を呼び寄せ、特別な力を与えて派遣される様子が語られています。
時は流れ、司祭も修道者も減少しつつある現代日本。時々お仕事でご一緒するある神父様は、信徒だけでも教会が豊かな霊性をはぐくめるようにと、必死で信徒の養成に関わっていらっしゃいます。そのお姿を拝見して、私も甘えてはいられない、と気持ちを新たにさせられました。私のできる分野で、これからも最善を尽くしたい、と思います。
このところ、忙しさに負けて、このエッセイもついさぼりたい、やめたい、と思ってしまうのですが、読んでくださる方が一人でもいらっしゃる限り、続けなくては、と思っています。十二使徒のおひとりおひとりに取り次ぎの祈りをお願いしながら。
≪聖書箇所≫ マタイ 9:36-10:8
(そのとき、イエスは、)群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。
そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」
イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった。十二使徒の名は次のとおりである。まずペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、フィリポとバルトロマイ、トマスと徴税人のマタイ、アルファイの子ヤコブとタダイ、熱心党のシモン、それにイエスを裏切ったイスカリオテのユダである。
イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」