今年の秋ごろだったか、東京都の産院に赤ちゃんポストができると言うニュースがありました。驚いたのは、熊本の病院に赤ちゃんポストができてから16年目22例目というところ。16年前も賛否両論あったと記憶していますが、特に「否」の意見は今回も同じ主張、正論です。
16年の間に、正論の陰でひっそりと人生を終わらせられた赤ちゃんが何人いることでしょう。日本の特殊合計出生率が低いのは、未婚で出産する人が少ないから、ときいたことがあります。是非論はともかく、この世に生まれ出ようとする命は、無条件に尊いのに、と思います。日本の少子化にまったく貢献しないまま、高齢化のみに貢献している身で申し訳ないですが。
マリア様は、あやうく未婚の母になるところでした。ヨセフ様の決断がなかったら、ベトレヘムでなく、どこで出産の日を迎えられたことでしょう。ナザレだったでしょうか。その時、ナザレの人々は、暖かく母子を受け入れたでしょうか、それとも「あのマリアが」「ふしだらな」と冷たく見放されたでしょうか。
少なくとも家畜の体温が温めてくれるところで、少なくともヨセフ様がぞばにいらして、よかったと思います。
時々、たった一人で出産して、生まれたばかりの赤ちゃんを殺してしまった、というニュースを聞きます。赤ちゃんもかわいそうなら、生んだ女性もかわいそうです。命をかけた出産という大事業を、だれにも見守られず、一人きりで…。「まず、あなた自身の体を大切にして」と声をかけたくなります。
神様が何もできない赤子の形で私たちに与えられたこのクリスマスの夜に、TVのニュースからは相変わらずパレスチナの傷付いた子どもたちの映像が流れてくる夜に、もう一度、命の尊さをしっかりと心に刻みたいと思います。
皆様、ご降誕おめでとうございます。
≪聖書箇所≫ ルカ 2:1-14
そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」