昔々のお話です。イタリアのシエナの市庁舎前の広場、カンポ広場で催される中世から続くイヴェントを友だちと見に行った時のこと。ものすごい人込みの中で、「全然見えない」と私がつぶやいたら、隣にいた背の高い友人は「どれどれ」と私の視線の高さまで膝をかがめて、「なるほど、何にも見えないね」と。
どうしてそんなことを思い出したのか、というと、今回の福音箇所(そしてその前後の部分)で、イエス様が「全然見えない」弟子たちに、少しでも見せようと言葉を尽くして語っていらっしゃるからです。そして、見えなかった弟子のひとりであったであろうヨハネは、それをしっかりと自分の中で育んで、そして福音書として書きあらわしました。
今、見えない言葉、今、理解できない聖句、そしてありえないとしか思えないような現実も含めて、私の奥底、聖霊が宿ってくださっているところまで落とし込み、そこで育みたいと思っています。いつか何かに変容してくれそうな気がします。
聖霊の光を、息吹きを、炎をください!
≪聖書箇所≫ ヨハネ15:26-27, 16:12-15
(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。
言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」