2017年9/10 若い人のための日曜日の聖書  年間第23主日  マタイ18:15-20

二、三本のコスモスは祈っているようです

桜の聖母学院または明治学園の卒業生で、私にスカート丈を注意されたことのある人、手を挙げて! と言ったら、結構な数の手が挙がりそうです。

生徒を叱る時、私は二種類の方法を用いていました。

その1。危険が迫っている場合には即座に大声を出します。

たとえば、窓ガラスや花瓶の近くで男子生徒がふざけている時。

私の高校時代の化学の先生は、大変穏やかな紳士でしたが、最初の授業の時におっしゃられたことが忘れられません。

「君たちがする実験には、手順を誤れば大事故になるものもあります。そういう事態を止めるために、私は突然罵声を張り上げることもあります」。

実際に、先生の「罵声」を聞く機会はありませんでしたが、それはこの最初の一言で、私たちの授業や実験に臨む姿勢が注意深いものになったからでしょう。

それから、だれもがさして悪気なく犯しやすい過ちで、でもそうしてほしくない時も即座にみんなの前ではっきり注意しました。

たとえば、スカートなど服装に関する違反(違犯でなく)がこれにあたります。

その2。でも、本当に問題だと思うことに関しては、「二人だけのところで」じっくり話を聴き、どうしたら同じことを繰り返さずに済むか助言してきました。

ところが、「二人だけ」というのは、当人たちの他にだれも聞いている人がいないわけですから、かえって誤解を受け、しこりが残ったこともありました。

いずれにせよ、叱ること、忠告することは難しいことです。

見ないふり、気付かないふりをした方が、どれだけ楽だったかしれませんが、私にはそれもできなかった・・・

今回のイエス様の言葉は、人に忠告や助言をする時の賢い方法を表していると共に、自分に悪いことをした兄弟(隣人)を、忠告することによって兄弟(隣人)に戻していく、という点で、イエス様らしいやり方と言えます。

私が今ボランティアしているフリースクールの学園長K先生はプロテスタントの牧師さんで、この方は生徒に何かを注意した後、かならずその子の肩に手を置いて祈ります。

「神様、○○君が二度と同じ過ちを繰り返さないよう、助けてください」。

彼のこのやり方は、聖書の忠告に関する話が「はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる」と結ばれるのに対応しています。

私も、もっと早く(つまり教師だった時に)このことには気づいていればよかったなあ、と思います。

雑な注意だけで終わらせてしまった皆さんに、今、お詫びして、あらためて皆さんのために祈ることをお約束します。(Sr.斉藤雅代)

 

≪聖書箇所≫ マタイ18:15-20

そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」