2017年12/3 若い人のための日曜日の聖書  待降節第一主日  マルコ13:33-37

取り敢えず引っ張り出した待降節の「小道具」たち

待降節、といえば…

待降節始めの行事、待降節朝礼、アドベントカレンダー、紫とピンクのリボンの付いたロウソクが立った待降節の輪、「あわれみの神」や「久しく待ちにし」といった待降節の聖歌、キャロルコンクール、そしてクリスマスに向かっての聖劇の練習、カードやツリーの準備… あと、何が思い浮かぶでしょうか? 教師をしていた頃は、忙しくて忙しくて、全てをこなす、というのが第一の目標でした。「クリスマスでなくて、苦しみます」と言うくらい。

生徒だった皆さん、ごめんなさい、ちっとも心がこもっていなくて。 修道院でも、ある程度同じような準備をしますが、全体の時間がもっとゆっくりしているので、ずっと聖なる気持ちで準備できます。

 

と、ここまで書いたところで風邪でダウン。

記憶している限り、風邪で熱を出すなんて10年ぶりかそれ以上です。

というわけで、今年もあわただしい待降節の始まりとなりました。

ともかく12月2日、土曜日の夕食までに出来上がっていなくてはならない待降節の輪からです。この夕食前の祈りで、修道院の待降節がスタートします…と思いながら、微熱のある体でベッドに潜っているうちに笑い出してしまいました。

だって、典礼暦年(カトリック教会のカレンダー)の始まりである待降節第一主日の聖書箇所は、「目を覚ましていなさい」。なのに私はベッドでうつらうつら。

 

神様、この風邪を感謝します。「祈りながら眠る」でなく眠りながらもあなたのみ手のうちにいることを感じています。

睡眠負債、という言葉を最近よく聞きますが、「お祈り負債」にならないよう、どうぞ助けてください。

この冬眠のような眠りから覚めたら、祈りかつ働きますから、ちょっとだけあなたのみ手の中にいさせてください。

皆さんも風邪にご用心。でもひいてしまったら、神様のお側で休息してくださいね。 (Sr.斉藤雅代)

 

≪聖書箇所≫ マルコ 13:33:37

(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)「気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」