私には、会ったことのない叔母がいます。母と年子の妹ですが、小学校に上がったばかりの五月の節句の頃、肺炎にかかり、「熱が下がらなければ一週間もたない」と言われ、そのとおり一週間後に亡くなったそうです。祖父母は、のちのちまで「幸子(私の母)より英子(叔母)の方が優しくて賢かった。でも気が弱かったから、生きていたら空襲に耐えられたかどうか」と語って、その死を惜しむと同時に自らを納得させようとしていました。
インフルエンザの特効薬タミフルは言うに及ばず、抗生物質などがなかった時代の人にとって、いつ下がるとも知れない熱は、死に直結する恐ろしいものだったでしょう。
イエスの時代の人々は、病気は悪霊のなせる業、と考えていたようです。マルコ福音書のもう少し先の方で、イエス様は弟子たちに「汚れた霊に対する権能(力)」を授けて各地に派遣します。それで彼らは、「多くの病人を癒した」(6:6-13)と書かれています。悪霊や汚れた霊を、「悪魔の仕業」というより「負の作用」とみるなら、確かに病気は悪霊のなせる業でしょう。その負の作用が、イエス様が「手を取って起こされると」消えていくとしたら、病人を抱えている家族はみな、イエス様のもとに押し掛けるでしょう。「なおしてください」とお願いし、「いつまでもここにいてください」と懇願することでしょう。
でもイエス様は、一人で祈った後、ほかの町や村への移動を決めます。この決断から読み取れるのは、イエス様は単なる医者ではない、ということです。つまり、病気をなおすことが最終目的ではないということ。イエスの存在によって、悪霊のなせる業さえ消滅する。病気からの解放は、悪霊のつけいる隙のない神の国での完全な解放の先駆けです。そして、さらに踏み込んで言うなら、病気であるかどうかは、神の国での完全な解放と実は関係がない。ただ、死と直結した病気からの解放の喜びというものを味わわせることで、私たちの関心を、同じく「死」から解放された場である神の国に向けるために、体の「病の癒し」という奇跡がある。そう解釈すると、今回の聖書箇所のイエス様の行動に納得がいくのではないでしょうか。 (Sr.斉藤雅代)
≪聖書箇所≫ マルコ1:29-39
(そのとき、イエスは)会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。町中の人が、戸口に集まった。イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。
朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。シモンとその仲間はイエスの後を追い、見つけると、「みんなが捜しています」と言った。イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。