6/24 若い人のための日曜日の聖書  洗礼者聖ヨハネの誕生の主日 ルカ1:57-66,80

ラファエロの「ヒワの聖母」。かわいいイエス様とヨハネが描かれています。そして30年後の二人の意味あるものだったとはいえ残酷な殺された方を思う時、このかわいらしさが一層胸に迫ります。

「今なにしてる?」と言えば、Facebookの最初に出てくる質問。

私の答えは「引っ越し中です!」。

耐震のために、築60年の調布修道院を一部新築することになりました。比較的新しい建物の一部にシスターたち全員がギュッと詰まり、古くて危険な部分を建て替えます。建築がカナダの本部から許可されたのは5月でしたが、すでにその前から、ネットが繋がらない、場所の特定できない水漏れ、お風呂のボイラーが壊れるなど、修道院の見た目の美しさと堅固さとは裏腹に、私たちの生活はまさに限界にきていました。

しかしいざ建て替え、そしてその前の引っ越し(荷物をまとめて別棟の修室に移る)となると、シスターたちの考え方・感じ方は様々です。

きちんと耐震設計がされた建物でなければ、私たちはともかくとしても、来てくださる方や働いてくださる方を危険にさらすことになる、と頭ではわかっていても、普段の仕事に加えての引っ越し作業は大変です。そして生活の場が変わることで、「あれがない」「あれはどこにいったかしら」ともの探しもしなくてはなりません。さらに食堂や居間などの共有スペースも場所が変わり、ものの置き場所が変わっています。全員で生活スタイルの変化を体験している、といっても大げさではありません。

その中で、有名なプロテスタントの神学者ラインホールド・ニーバーの有名な祈りが思い出されました。

神よ、変えることのできないものを穏やかな心で受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えてください。

さて、今度の日曜日は6月24日。イエス様の誕生日である1225日のちょうど半年前にあたるこの日は、おそらくマリア様を除けばイエスの最大の理解者であった「洗礼者聖ヨハネ」の誕生日です。ルカ福音書によれば、ヨハネの誕生を告げた天使は、それから「六か月目に…ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた」とあることから、イエス誕生の半年前にヨハネの誕生が祝われます。イエスの誕生はちょうど冬至のころ、ヨハネは夏至のころ。古代ローマでは、夏至や冬至に盛大なお祭りが行われていて、それを「キリスト教化」するために、イエスとヨハネの誕生をそこに当てはめた、とも言われています。

このヨハネは、「旧約時代最後の人」とも呼ばれます。「イエスの先駆者」とも言われますが、彼はイエスの弟子にはならず、自分の生き方を貫き通して死んでいきます。

そして「あの方(イエス)は栄え、私は衰えねばならない」(ヨハネ3:30)という言葉を残しています。

そこにヨハネのどのような「区別する賢さ」があったのか、私には計り知れません。

しかし、彼は彼なりにイエス様のために清く生き、潔く死んでいったと、感嘆する思いです。洗礼を受けたキリスト者である、ということに安穏としているわけにはいかない、とつくづく思わされます。(Sr.斉藤雅代)

≪聖書箇所≫ ルカ1:57-66,80

さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。しかし人々は、「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」と言い、父親に、「この子に何と名を付けたいか」と手振りで尋ねた。父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。近所の人々は皆恐れを感じた。そして、このことすべてが、ユダヤの山里中で話題になった。聞いた人々は皆これを心に留め、「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」と言った。この子には主の力が及んでいたのである。
 幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた。

同じくラファエロの「美しき女庭師」