「ぼくは、『ギブ&テイク』ではなく、さらに一歩進めて、『ギブギブギブギブギブ&ギブ』でちょうどいいと思っています。見返りを求めることなく…」。最近読んだ本の中の一節ですが、これって宗教書ではありません。
尾原和啓さんの著作『どこでも誰とでも働ける―12の会社で学んだこれからの仕事と転職のルール―』(ダイヤモンド社)の一節。私は単にタイトルに惹かれて図書館から借りたのですが、私の期待とは少々方向性が違っていました。それでも、内容的には大変な示唆を受けました。自分の仕事(修道会から役割として与えられている)を考える上でも、霊的な面でも。
「見返りを求めることなく…」の続きはこうです。「自分のもっているスキルを惜しげもなく提供することで、新しい経験を仕入れることができるからです」。
これを、「新しい経験を仕入れることができる上に、神様の素晴らしさを人々に伝えることができるからです」と書き加えたら立派な宗教書になると思いませんか?
ギブ、とカタカナで書くと少々お軽い感じですが、「与えて、与えて、与えて、与えて、与えて、与えつくす」と書いたら、まさにイエス様の生き方です。
弟子たちは無邪気に言います。「イエス様、お偉くなったら私たちにもそれなりの地位を与えてくださいますよね」。
イエス様の「栄光を受ける時」とは、ほとんどの人がそうは思わない「十字架の上」でした。みじめに裸にされて、血と汗にまみれた満身創痍の姿―それが神様が愛する一人子に与えた栄光でした。
その「栄光」を通って復活に至りたいなら、なすべきことはひとつ。「偉くなりたいのだったら、みんなの僕となって、みんなに与え尽くす者になりなさい」。
マリア様、「イエス様は厳しいなあ。偉くなんてならなくていいよ」という私の心の声に負けないように、私が今の役割に徹することができるよう、助けてください。
ちなみに、尾原和啓の『どこでも誰とでも働ける』というタイトルの意味するところは、「どんな職場で働いたとしても評価される人材になる、そして世界中のどこでも住みたい場所住みながら働ける」でした。Googleや楽天、マッキンゼーなどを12回転職した方。本は肩の力をまったく抜いて書いているようですが、内容はしっかりしていて、今を生きる若い方々にお薦めです。
≪聖書箇所≫ マルコ10:35-45
(そのとき、)《ゼベダイの子ヤコブとヨハネが進み出て、イエスに言った。「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが。」イエスが、「何をしてほしいのか」と言われると、二人は言った。「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。」イエスは言われた。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか。」彼らが、「できます」と言うと、イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる。しかし、わたしの右や左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、定められた人々に許されるのだ。」ほかの十人の者はこれを聞いて、ヤコブとヨハネのことで腹を立て始めた。そこでイエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」