1/19 若い人のための日曜日の聖書  年間第2主日 ヨハネ 1:29-34

マティアス・グリューネバルトの「神の子羊」

軽薄な表現に聞こえるかもしれませんが、「人気のあるシスター」がいます。姉妹間でも同じように好かれていれば問題はないのですが、常にそうとは限りません。「あの人は外面ばかりいい」「なんであの人が好かれるの?」というのは、人気のない者のひがみかもしれませんね。

「その方は私にまさる」―今回、この洗礼者ヨハネの言葉がとても響きました。ヨハネだって、素晴らしい働きをした人でした。ヨハネはイエス様のところに自分の弟子を送って、「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」(ルカ7:19)と質問させていますが、この問いは、きっとすでに多くの人からヨハネ自身にも発せられていたことでしょう。

このような人々の態度に対して、ヨハネはひたすらイエスを盛り立てることに努め、最終的にはそれに命さえかけてしまうことになります。すごいと思いませんか。

私は、「人気のあるシスター」であったことはありませんし、これからもないでしょうが、「先生の宗教の授業が好き」と言われたことは何回かあります。ついつい舞い上がってしまったのですが、これほどヨハネから遠いあり方はないでしょう。イエス様を前面に押し出して、自分は一歩も二歩も引き下がるヨハネの生き方こそ、宣教する者の生き方として、見習いたいです。主よ、どうかあなたを、あなただけをハイライトする者にならせてください。あなたのおもちゃにすることを願った聖人のように、あなただけをハイライトする蛍光ペンにならせてください。     (Sr.斉藤雅代)

≪聖書箇所≫ ヨハネ 1:29-34

(そのとき、)ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」そしてヨハネは証しした。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」