この原稿を書いている今は、聖金曜日の夜。連日のコロナ関連ニュース、特に東京都の感染者数が日々増加しているので、何とも重苦しい気分です。
こんなふうでは、ご復活を例年のようにすっきりした気分で迎えられない、と今からがっかりしているのは、エゴイズムでしょうか。
私は今、63歳ですが、人生で3つの思いがけない体験、尋常でない体験をしました。
2009年のホンデュラス滞在時におこったクーデター、2011年3月11日に福島市で体験した東日本大震災、そして現在進行形のコロナ禍。
3.11の時も、相手は目に見えない「放射能」でした。どこに溜まっていて、どのように私たちの体に影響を及ぼすのか、実際のところ、「時」という審判を経ないと分からないことだらけでした。
修道院の生活は常に「共同生活」ですので、色々な感じ方の人がいて、意見も反応も様々です。
放射能を浴びた庭の花を院内に飾りたくない、外に干した洗濯物は放射能をよく払い落してから取り込んでほしい、福島県産の物を食べたくない等々。
1か月、2か月、学校をどうするか、生活をどうするか、という大問題に追われ、学校でも修道院でも「右往左往しながら肩を寄せ合って」過ごし、ずぼらな私の結論は、今すぐ死ぬわけじゃないし、たとえ放射能を浴びすぎたとしても、これから私たちシスターが子どもを産むわけじゃないし・・・ま、いっか。
今回のコロナ禍も、目に見えないウイルスが相手ですが、決定的に異なるのは、この不安の中で「右往左往してはだめ、肩を寄せ合うことは厳禁」、という点です。
イエス様が十字架上で亡くなられた3日後、二人の女性がその墓を訪れました。おそらく手をつなぎ、支え合うようにして。これからどうなるのか、二人は不安で不安で仕方なかったことでしょう。同じく不安におびえていた弟子たちが引きこもってしまったのと逆に、女性たちはたとえ遺体であってもイエス様に近づきたい、あるいは十分でなかった葬りの支度を整えなおしたいと、必死の思いで墓まで来ました。この一途さが、女性たちを「復活の最初の証人」とします。当時のユダヤ社会では、女性が何かの「証人」になることは、許されていなかったにもかかわらず。
私たちキリスト者はみな、洗礼によってイエス様の復活の証人となっています。そうであるなら、このコロナ禍の中で、どのようにして証人であることを宣言することができるでしょう。命と死と復活の狭間で、私にはまだ祈りの中で結論がでません。ただ、十字架のイエス様がとてもとても近くに感じられるのです。
(Sr.斉藤雅代)
≪聖書箇所≫ マタイ28:1-10
(さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」