今年、生誕400周年を迎えた私たちの修道会の創立者聖マルグリット・ブールジョワは、「囲いのない女子修道会」を構想し、フランス王(ルイ14世の御代でした)やバチカンの許可を取り付けてコングレガシオン・ド・ノートルダム修道会を創立しました。
それまでの女子修道会は、通常高い塀(つまり囲い)に守られ、シスターたちは自ら望んで一生涯そこから出ませんでした。閉じ込められていたわけではなく、出ないこと(一所定住と言います)に大きな意味があったのです。
マルグリットが活躍した17世紀後半は、各地で「囲いのない女子修道会」が出来ていった時期でもあります。大航海時代の「外へ、外へ」という雰囲気や新大陸のでの必要性(現代から振り返ると大きなお世話だったかもしれませんが)も、このような動きの要因となったと思われます。
さて、私たちは今、緊急事態宣言の下でなるべく外出しないように過ごして3週間がたちました。はじめは5月6日までと言われていましたが、もう1か月は伸びそうです。
「自粛疲れ」という言葉が聞かれ、「ストレスをためたくないからパチンコに来ました」とTVのインタビューに答えている人を、心情的には笑えない状況です。
その中で、4月27日に出された東京教区長、菊地功大司教様の以下のメッセージに励まされました。
「できる限り家にとどまりましょう。それは逃げ隠れているのではなく、すべての人のいのちを守るための前向きな行動です」。
ステイホームが「いのちを守る前向きな行動」という大司教様のメッセージに感動しました。
私たちがこもっている一方で、この感染拡大を爆発させないよう日夜努力してくださっている方々のことを、TVやネットを通して固有名詞として知ることができ、マスクをしたこの方々の顔を覚え、直接声まで聴くことができるのは大きな恵みだと思っています。
Oさん、Kさん、そして「八割おじさん」の異名をとったNさん、と言えば、もうみなさんにはお分かりでしょう。
この方たちが、大司教様が私たちの「羊飼い」であられるように、やはり「羊飼い」あるいは「牧羊犬」のように思われるのは、私だけでしょうか。
今は、積極的にできることは、「ステイホーム」。
大司教様のメッセージはこう続きます。
「同時に、様々な事情から家にとどまれない人たち、とどまる家のない人たちに、力強い守りの手が差し伸べられるよう祈りましょう。またいのちを守るために、日夜懸命に働いておられる医療従事者の皆さんが、守られるように祈りましょう。病床にある人たちに、神の癒やしの手が差し伸べられるよう祈りましょう」。
皆さま、互いにお家の中で祈りあいましょうね。 (Sr.斉藤雅代)
≪聖書箇所≫ ヨハネ 10:1-10
(そのとき、イエスは言われた。)「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。門から入る者が羊飼いである。門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった。
イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。