10/18 若い人のための日曜日の聖書 年間第29主日 マタイ 22:15-21

雨の土曜日。

大学院時代に大変お世話になった先生のお葬儀でした。

岸本宏子先生。

女性研究者の生き方のモデルとして、学生時代の私のあこがれの的でした。

一時期私は先生の内弟子のような感じで、南青山にあったご自宅に入り浸り、当時「明るく元気に闘病中」だったお母様や、「謹厳実直」が服を着たようなお父様ともよく一緒にご飯をいただきました。

1983年だったか、先生の研究助手として中部イタリアに2か月ほど滞した時にはまさに起居を共にし、その後も音楽学会全体がかかわるような大きな仕事にも声をかけていただきました。

先生と一緒に仕事をしていると、人の輪がどんどん広がり、「この問題ならあの人に尋ねればヒントが得られる」とか「この類の参考資料は〇〇図書館にある」とか、ネットのない時代でも支障なく研究を進めることができました。

Windowsより一世代前のPCの扱い方を教えてくださったのも、「そのうち、電子メールですべてが簡便になる」と、夢のような時代の到来を告げてくださったのも、先生でした。

私は、二十台の後半で神様に呼ばれ、音楽学会からしだいに、やがて完全に身を引きましたが、先生はどこかでご健在で、研究を続けていらっしゃると信じていました。

先週の月曜日に、後輩から訃報を受け取りました。しかも、晩婚で結ばれたとても包容力のある夫君を4年前に亡くされたことから体調を崩され、本当に寂しい最期だったと。

さらにショックだったのは、私が5年前から住んでいるこの調布修道院から、多摩川を渡ってすぐそばのところにいらしたこと。

どうして、だれかに問い合わせて訪問しなかったのかと悔やまれました。

と、同時に、人の一生の短さ、儚さを感じました。

今回、狡猾にもイエス様を陥れようとする輩に、イエス様は神の英知をもってお答えになります。

「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」。

まさにそのとおり、この世のものは何一つ来世にもっていけません。

唯一もっていって神様にお返しできるのは、人を愛した魂のみ。

主よ、どうか彼女に永遠の休息をお与えください。Requiem dona ei, Domine.

そして私が、皇帝に返すものではなく、あなたにお返しするものに集中して生きるようにさせてください。     (Sr.斉藤雅代)

 

≪聖書箇所≫ マタイ  22:15-21

(そのとき、)ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」