2/7 若い人のための日曜日の聖書 年間第五主日 マルコ1:29-39

マリア像に捧げた葉書

「みんなが捜しています」。

今回の福音箇所を読んで、もっとも心に響いたのは、この言葉でした。

そして、「私は誰を捜しているのだろう」と。

切実に求めているものはあります。

何といっても今はまず、緊急事態宣言が明けること。

でも、そのためにどのくらい切実に神様に祈ったかしら。

そう自問すると、はなはだ心許なくなります。

いえ、毎日かならず祈ってはいるのですが。

私たちの共同体のシスターTは、祈るだけでなく、近隣の病院の方々に葉書を送って励ますことを思いつきました。そして、一人で黙々と葉書を印刷し、住所を書き、切手を貼って、マリア様にお捧げして祈り…そして投函しました。

「医療従事者の皆様、切迫した状況の中に日々心身のエネルギーを使って、病者の回復に尽くしておられることに心からの尊敬と感謝を申し上げ、お礼の言葉を送らせていただきます。皆様とご家族の方々を、神様と聖母マリア様がお守りくださいますように修道院で祈りをお捧げしています。感謝をこめて。ノートルダム修道院シスター一同」。

私はその姿を見ながら、「新手のおかしな宗教勧誘と思われないかしら。お忙しいのに迷惑じゃないかしら」と心配でした。でも、一応、コロナ禍中の修道院の活動のひとつとして記録するために、写真を撮りました。

数日後、ひとつの病院の理事長先生から、返信が届きました。一枚のはがきを大切に扱ってくださって、そして祈っていることを喜んでいただけて、本当によかったなあと思いました。私の心配は愚かな杞憂でした。

何がどうであろうと、私たちが捜し求めるのは神様だけ。そして、福音書がそのことを知らせるために書かれたように、私たちも何らかの形で活動を伝えていかなくてはならないと思わされました。

神様、シスターTの活動を心配してごめんなさい。また、このささやかな日曜日ごとのエッセイの継続を、「もう疲れたからやめたい」と思ったり「Zoomはめんどうだ」と思ったりしてごめんなさい。どうか、私たちシスターが、どのような状況下であっても宣教活動を続けていけるよう、恵みを与えてください。あなたを捜し求める人たちのために。

 

≪聖書箇所≫ マルコ1:29-39

(そのとき、イエスは)会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。町中の人が、戸口に集まった。イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。
朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。シモンとその仲間はイエスの後を追い、見つけると、「みんなが捜しています」と言った。イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。

祈りを伝える葉書

こんな返信をいただきました