6/13 若い人のための日曜日の聖書 年間第11主日  マルコ 4:26-34

フォトジェニックという言葉があります。今風に言ったら「インスタ映え」かしら。

いずれにせよ、写真に撮ると「サマ」になる。

修道院の中ににも、フォトジェニックな姉妹がいます。私はそうとうよく修道院内の写真を撮りますが、ついつい同じ姉妹にばかりカメラが向いてしまいます。

Sr.Tは、よく私を「あっ、撮らなきゃ!」という気にさせてくれる姉妹です。ただし撮るのはとても難しい。

なぜなら、小さい体で、いつも庭のどこか、緑の繁みのどこかで一心不乱に働いている姿が私の心を惹くからです。

そおっと窓を開けて・・・気付かれないように近づいて・・・カシャ!

でも、画像を見てみると、「あれ、ここにいらしたはず。確かにこの繁みの中だったのだけど」となることがしばしば。

それでいてなぜ心を惹かれるのかといえば、一心不乱に庭仕事をしている彼女、庭仕事の合間に一休みしている彼女は、創造の神様と一体化しているから。

今回の福音箇所のイエス様は「御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された」とありますが、彼女はきっと庭仕事をしながら神様と神の国の秘密について言葉のない語らいをしているに違いありません。

どんな語らいなのでしょう。

「人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた」とあるのですから、神様はこの私にも別のたとえ(別の仕方)で「神の国」を語ってくださっているはずです。

音楽を通してでしょうか、お料理することを通してでしょうか、グループで聖書の分かち合いをする中ででしょうか。

彼女のように、私も聞く耳を持ちたいと思います。そして、私のうちにすでに蒔かれている(と信じています)神の国という種が、空の鳥を住まわせるほど大きな木になるよう、そして神の国をまわりの人に伝えられるよう、恵みをください。                                      (Sr.斉藤雅代)

 

≪聖書箇所≫ マルコ 4:26-34

(そのとき、イエスは人々に言われた。)「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」
更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」
イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。