待降節のカラーといえば、紫色。でも待降節第三主日は、唯一の薔薇色の日です。四旬節第四主日と並んで、回心の日々の内に喜びを前もって味わう日、といったらいいでしょうか。昔の人は、現代の私たちより真面目に、待降節や四旬節に回心を願って断食を励行していた、と聞きます。クリスマスやご復活を待ちわびる日々の中に、一日だけ喜びの日が混じる、というこの典礼暦の習慣は、人間性の弱さへの深い洞察によるものかもしれません。
さて、今回の福音箇所を祈っていて私が最も心惹かれたのは、洗礼者ヨハネの呼びかけによって集まって来た人々の問いでした。
「わたしたちはどうすればよいのですか」。
何と単純で素直な問いかけでしょう。
まるで小さい子どもがお母さんかお父さんに「どうしたらいいの?」と尋ねているように感じられました。
回心とは、この単純で素直な問いかけを、神様にするところから始まるのではないでしょうか。
神様は、洗礼者ヨハネが一人ひとりに丁寧に答えた以上に、私たちの内奥を知り、私たちの弱さを知っていらっしゃるので、何か相応しいチャレンジをくださるに違いありません。
きっと、痛みを伴うチャレンジを。
洗礼者ヨハネからお答えをもらった人々と共に、チャレンジを果たしながら、クリスマスに向かって歩んでいきましょう。
いっそう素晴らしい降誕祭を祝えるように。
≪聖書箇所≫ ルカ 3:10-18
(そのとき、群衆はヨハネに、)「わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。
民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。