12/25 若い人のための日曜日の聖書 主の降誕の祭日 夜半・早朝のミサ  ルカ 2:1-14, 15-20

だれが描いたのか、修道院にある古い絵です。

「早朝のミサをしないと、羊飼いたちがかわいそうだよ」。

Y神父様から最近伺った言葉。

クリスマスには3種類のミサがありますが、24日の晩には夜半のミサを行い、25日には日中のミサをすることが多いです。

夜半のミサの福音箇所で天使からお告げを受けた羊飼いたちは、早朝のミサの福音箇所で、イエス様を発見します。そして、日中のミサでは、まったく異なる観点でイエスの誕生を語るヨハネ福音書の冒頭が読まれるので、早朝が抜けると、羊飼いたちがいつまでたってもイエス様のもとにたどりつかないことになります。

なるほど、Y神父様は優しいなあ、と感心してしまいました。

 

今は、12月24日、午後4時。皆さんは、何をしていらっしゃるでしょう。

だいたい降誕祭のミサは、夕暮れから執り行うことが可能ですので、もう、ミサの最中という方がいらっしゃるかもしれません。これから、夕食を済ませてミサ、とか、密を避けるよう教会から促されて、今日でなく明日ごミサに与る予定、という方もいらっしゃるかもしれませんね。

ミサと関係なく、家族でクリスマス・ディナーという方もいらっしゃることでしょう。

私は、やっと待降節の飾りつけをクリスマスヴァージョンに変えて、19時から修道院で行われるミサのオルガンの準備をして、今、この原稿を書いています。19時のミサの後、近くの教会の零時のミサに、洗礼を考えて勉強を始めた方をお連れします。(大丈夫、ちゃんと主任神父様のご許可をいただきました。)

今朝のNHKのお天気予報で、「明日から大寒波が来ますから、大掃除や降雪の時の準備はあたたかい今日のうちにしてください」というのをきいて、「ああ、私はキリスト教国でなく、宣教国にいるんだ」と改めて自覚しました。キリスト者が多い国だったら、24日の朝にこんなアナウンスが流れるはずがないからです。そして、宣教国に生まれて、宣教されてキリスト者になったのだから、もっと宣教しなくては、と思わされました。

イエス様、神様があなたという方を私たちにプレゼントしてくださった今晩、クリスマスは、もっとも教会に人を誘いやすい時なのに、昨年に続いて今年もコロナのために、大きな声で「教会にどうぞ」と言えなくて残念です。

それでも、私たちの間に住まうために生まれてくださって感謝です。

何もできない赤ちゃんの姿で生まれてくださるあなたを見詰めて、今年も再び、いっそうあなたに従っていけるようお願いいたします。何もできないお姿、神様に委ね切ったお姿を、いつもせわしなく動き回っている私が少しでも見習うことができますように。

 

修道院の壁にかかったカレンダーにフランシスコ教皇様の言葉が載っています。12月の言葉は以下の通りです。

 

せわしない文化には、「じっとたたずむ」文化が必要なのです。立ち止まってください。

 

立ち止まって、ともに、何もできないあかちゃんのイエス様を見詰めましょう。

本物の宣教は、ここから始まる気がします。

 

≪聖書箇所≫ ルカ 2:1-14, 15-20

そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」

天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。