2/6 若い人のための日曜日の聖書 年間第5主日 ルカ 5:1-11

春を待つ、修道院の白木蓮

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ

花を買い来て 妻と親しむ

十代の頃に心惹かれて覚えた石川啄木の有名な短歌ですが、この年になって、さらに深く味わえるようになった気がします。

神童ともてはやされた幼い日は遠く、東京の人波の中に埋没するには自尊心が高すぎ、行き場のない気持ちを花を買うことで紛らわす。きっとこの花は、水仙とかフリージャーとか、香りの高さで人を惹きつける花であったような気がします。「妻」は、どんなふうにこの花を受け取ったかしら。

 

「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」

 

夜通し苦労しても不漁だった夜明けに、疲れと不満をいだきながら網の手入れをしていたペトロ(シモン)。

イエス様に舟を貸し、その話を聞いたはずですが、あまり心に響かなかったのかもしれません。

それなのに、漁師である自分に向かって「漁をしなさい」というイエス様にペトロが反発を感じたとしても、何の不思議もありません。

「まあ、そうまでおっしゃるなら」と破れかぶれで網を投げてみると・・・。

ペトロの疲れと不満は、一瞬にして吹き飛びました。話を聞く中でではなく、おびただしい魚を見て、イエス様の足元にひれ伏すことで、イエス様と出会ったからです。

「主よ、あなたを疑いました。私は罪に汚れていて、あなたと対等に話すことができません」。

ひれ伏したペトロを起こしながら、イエス様は言います。「一緒に人々の救いのために働こう。それこそが、これからのあなたの『漁』だよ」と。

啄木の鬱屈は、妻と親しめたとしても癒されることなく続いたことでしょう。それが彼の芸術作品を産み出す原動力となったのかもしれませんが、一人の人、30歳にもならなかった若い青年の魂を思うと、何とも痛ましいです。

私たちイエス様を知る者は、ペトロさんを見習って、素直に自分の弱さを認めましょう。そして、弱いながらもイエス様の弟子として使っていただけるよう、お願いいたしましょう。

今日の拝領祈願は、次のように始まります。

「恵みあふれる神よ、あなたはみ前にひれ伏す者に語りかけ、ご自身の協力者として立ち上がらせてくださいました」。

 

 

≪聖書箇所≫ ルカ  5:1-11

イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。