3/20 若い人のための日曜日の聖書 四旬節第3主日 ルカ 13:1-9

毎朝、ごミサに耳を傾けている修道院中庭のゆず

ゆず、きんかん、あんず、うめ、びわ、かりん、オリーブ・・・ここの修道院の実のなる木です。2年前に大きな工事が入る前は、さらに、ざくろ、もも、くるみ、銀杏、いちじく、ルバーブもありました。

ゆずは今、新しい聖堂に寄り添うように立っています。この冬、マーマレードを作って、近隣の調布教会で「毎朝、ごミサに耳を傾けているゆず」をキャッチフレーズに寄付を募ったところ、瞬く間になくなってしまいました。(ご寄付は、中米エルサルバドルの小学校に送られます。)

このゆずは、本当は建築の妨げになるので切る予定でした。でも、監督さん方が知恵を絞って、残してくださいました。建築中は、振動、騒音、そして土埃を被ったせいか、実があまり育ちませんでした。ところがこの冬は、八百屋さんに並べられているものくらい大きく育ち、年を越すと甘くなりました。こうなったら、カラスと競争で収穫しなくてはなりません。

今回の福音箇所の園丁は、なんと優しいのでしょう。イエス様が宣教の生活を始めて3年。神様の目から見たら、あまり実りがなかったのかもしれません。でも、園丁イエス様は、「来年は実がなるかもしれません」と期待をかけ、執り成してくださいます。

イエス様は、この時―ご受難に向かうこの時―だけでなく、今もいつも私たちのために執り成してくださっています。きっと、その傍らでマリア様も。

四旬節も3週目に入りました。

相変わらずの私ですが、少しでもイエス様の執り成しにふさわしい者になれるよう、努力いたします。

 

≪聖書箇所≫ ルカ13:1-9

(ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」
そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」