6/5 若い人のための日曜日の聖書 聖霊降臨の祭日 ヨハネ 14:15-16, 23b-26

マルガリタブログ(https://margarita-kids.jp/blog/1238.html/)より

カレンダーが聖母月である5月から聖心の月の6月に変わり、いよいよ復活節も大詰めの聖霊降臨です。それで今回は、聖霊降臨と聖母について考えてみたいと思いました。カトリック教会の私たちが深く敬愛する聖母マリア様は、福音書には実のところあまり登場しません。特にイエス様のこの世における最後の部分(受難、死、復活)にマリア様を登場させているのは、ヨハネによる福音書だけです。そして、聖霊降臨の場に聖母がいらしたかどうかも、はっきりと記されてはいません。ただ、使徒言行録1:14に「彼ら(弟子たち)は皆、婦人たちやイエスの母マリア。またイエスの兄弟たちと心を併せて熱心に祈っていた」とあって、すぐ後の2:1に「一同が一つになって集まっていると」聖霊が風のように、炎のように皆の上にとどまった、とあるので、当然マリア様は聖霊降臨の場にいらしただろうと解釈されています。聖書を、書かれた言葉どおりに緻密に読んでいくことは、大切であり必要なことですが、同時に、私たちは神様が下さった想像力を働かせて、聖書の場面に自由に入りインスピレーションをいただくことができます。イエス様の最期、そしてイエス様の復活の場にほとんど聖母マリアの名があげられていないことには、大きな意味があると思います。私には、イエス様の栄光の輝きの中に、マリア様がすっぽりと隠れて、一体になってしまっているように思えるのです。だから、福音史家たちは、改めてマリア様の名前をあげなくても、イエス様と共にマリア様を描いていた、と。このような思いは、私たちが神様のことを人々に伝えるときに大きなインスピレーションを与えてくれます。

つまり、伝えるのは、「私」ではなくて「イエス・キリスト」であること。

これは難しいことです。

私たち(私と言った方がよいでしょうか)には、「私が体験しているイエス様」しか伝えられないからです。

しばらく前に、「あなたがSNSで書いていることは自分のことばかりだ」というような批判をある方から受けました。

でも「私が体験しているイエス様」を、「私」抜きでどのように伝えられるのでしょうか。

私にはこの答がまだ見出せません。

イエス様の神性の中にすっぽりと隠れていらっしゃるマリア様が、そして「すべてを教えてくださる」聖霊が、いつか教えてくださる日を待ちます。

 

≪聖書箇所≫ ヨハネ14:15-16、23b-26

(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。
わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。
わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」