6/26 若い人のための日曜日の聖書 年間第13主日 ルカ 9:51-62

梅雨明けまじかの不思議な空

修道院で集団生活をしていると、本当に、時間の使い方や優先順位は人それぞれだなあ、と思わされる時があります。

「疲れた」と言いながら、いつまでも食卓やTVの前から立たない姉妹。かたや私は、疲れた時は、一刻も早くすべてを終わらせて、お風呂に入って、ベッドにもぐりこみたい。

天地がひっくりかえってもお祈り優先という姉妹(脱帽!)。かたや私は、気になることをすべて片付けないと祈りに集中できない。

イエス様はどんなタイプだったのかしら。

「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、あなたを歓待しない人々を焼き滅ぼしましょうか」という言葉には、ぎょっとさせられますが、さすが「雷の子(ボアゲルネス)」と綽名されたヤコブとヨハネらしいな、という気もします。

「おいおい、そんなことをして天の父である神様が喜ぶかな?」

イエス様の、「戒める」というより、のんびりと弟子たちに考えさせる様子が祈りの中で浮かんできました。

私自身がせっかちのせいかもしれませんが、私の祈りの中のイエス様は、いつもゆとりのある方です。

と同時に、その人の「時」を見定めて助言する方でもあったのだ、と今回の福音箇所の後半を読んで思いました。

父を葬ることも、家族にいとまごいすることも、人として当然なこと。であっても、時にそれに優先する呼びかけがある・・・。

私自身、呼びかけられたその声を最優先して生きているかしら。

どうぞ今の私に、最優先を教えてください。そして、私が、あまりにも自分に都合のよいように祈りの中のあなたを設定しているとしたら、本当のあなたに出会わせてください。

≪聖書箇所≫ ルカ 9:51-62

イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。そして、先に使いの者を出された。彼らは行って、イエスのために準備しようと、サマリア人の村に入った。しかし、村人はイエスを歓迎しなかった。イエスがエルサレムを目指して進んでおられたからである。弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言った。イエスは振り向いて二人を戒められた。そして、一行は別の村に行った。
一行が道を進んで行くと、イエスに対して、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言う人がいた。イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」そして別の人に、「わたしに従いなさい」と言われたが、その人は、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。イエスは言われた。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」また、別の人も言った。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた。