猛暑の中、気が付けば2022年が半分終わってしまいました。
最近、つくづく思うのは、木や花、植物はえらいなあ、ということです。
暑くても寒くても、1ミリも動けないまま、ひたすら生きようとしている。
私が働いているCND宣教センター「友愛の家」の玄関は、西向きです。朝9時ころから日の入り(今は19時!)まで、10時間も強烈な太陽に晒されています。同じ敷地内の幼稚園の通り道でもあるので、いつもプランターを置いてきれいに手入れしておきたいのですが、なかなか困難なことです。唯一できることは、暑さ寒さに強い花を選ぶこと。今はマリーゴールドをたくさん植えています。
東側に裏庭があります。大きな紫陽花が数本あって、梅雨時には見事ですが、それ以外の季節には殺風景な庭です。ここで、5月にいただいたローズゼラニウムの挿し芽を育て、鉢に植え替えました。植え替えてからは、時々水遣りをする程度で、あまり気を使わなかったのですが、どんどん大きくなり、花の季節は終わっていたはずなのに、ふと見るとピンクの花を付けていました。生命力の強さに感動しました。
今回の福音箇所は、育っていくイエス様の弟子集団に焦点をあてています。イエス様を離れて、2人きりで行く宣教の旅、しかもお金も着替えも持たない旅…きっと心細かったに違いありません。
でも、旅は「成功」でした。72人は喜んで帰ってきて、イエス様に報告しました。イエス様は、おっしゃいます。
「成功そのものじゃなくて、あなた方の苦労と喜びが天の父である神様にしっかり伝わっている、そのことを喜びなさい」。
「成功」体験に沸き立っている弟子たちに、この言葉は通じたでしょうか。もしかしたら彼らがこの言葉の意味を理解するのは、イエス様の復活を体験した後だったかもしれません。
主よ、どうか「成功」が好きな私にもこのことを悟らせてください。あなたの胸に私の名が書き知るされていることを喜びとし、あなたのためにいっそうよい「働き手」になれるように。
≪聖書箇所≫ ルカ 10:1-12, 17-20
(そのとき、)主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。そして、彼らに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へと渡り歩くな。どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。
《しかし、町に入っても、迎え入れられなければ、広場に出てこう言いなさい。『足についたこの町の埃さえも払い落として、あなたがたに返す。しかし、神の国が近づいたことを知れ』と。言っておくが、かの日には、その町よりまだソドムの方が軽い罰で済む。」
七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」イエスは言われた。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」》