10/16 若い人のための日曜日の聖書 年間第29主日 ルカ 18:1-8

マリア様に柿の実をお供えしておくと、甘くなることを発見!もっとも、陽当たりのよいところに置いているのですが。

「親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている」。

いえ、「坊ちゃん」のことでなく、私自身のこと。

もっと詳しくいうならば、下町育ちの母譲りの「江戸っ子の潔さ」と、城下町川越育ちの父譲りの「マイペースな短気」。

どこを切っても、今回の福音に出てくる女性のような執拗さとは無縁な私。唯一根気よく粘ったのは、いえ、粘らせていただいたのは、修道生活かもしれません。

えっ、周りの姉妹の粘り強い忍耐のせい?

まさにそのとおりです。

昨年、30日の霊操をさせていただいてから、ちょうど1年経ちました。残念なことに、薄れてきてしまったこともたくさんあります。その時に継続しようと決心したいくつかの祈りの中に、「簡単にものごとを投げ捨てず、待つことを教えてください」というのがありました。

霊操から1年の記念に、もう一度心を新たにしてこの女性に倣い、この祈りを唱えようと思いました。

祈ることそのものが、待つことですから。

 

≪聖書箇所≫ ルカ 18:1-8

(そのとき、)イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』」それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」