2/12 若い人のための日曜日の聖書 年間第6主日 マタイ 5:17-37

2022年の9月に、調布教会の方々と始めた「聖書百週間」がついに終盤に近付き、昨日のマタイの2回目がちょうど5章から12章で、今回の福音箇所を含んでいました。真福八端に始まる有名な「山上の説教」の部分ですから、みなさん、色々な神父様方のお説教を聴いたり、解説書を読んだりしています。それで、旧約聖書から通して読んでいく「聖書百週間」らしい読み方として、特に5章22節から始まる「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は・・・と命じられている」というところを、ひとつひとつ元の箇所に当たりながら読んでいきました。

結果として心に残ったのは、旧約聖書の掟が、イエス様によってさらに徹底して深められていることです。これを文字通りに実行しようとしたら・・・ただのひとつも実行できません、少なくとも私には。

イエス様は、このような私たちの弱さをよくご存じでした。それならなぜ命じられたのでしょう。きっと、聖パウロのいうように「正しい者はいない。一人もいない」(ローマ3:10)ということを私たちがよく悟るためではないでしょうか。

私たちは、どんなに神様との関係をまっすぐに保ちたい、清くありたい、と思ってもできません。

ただ頭を垂れて「イエス様、まただめでした」と告白するだけです。

イエス様が、「大丈夫、また私と一緒に歩んでいこう」とおっしゃってくださるのを信じて。

 

≪聖書箇所≫ マタイ 5:17-37

(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)《「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。」》
「言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。
《兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、途中で早く和解しなさい。さもないと、その人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれるにちがいない。はっきり言っておく。最後の一クァドランスを返すまで、決してそこから出ることはできない。》」
「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。」
《もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである。」「『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。不法な結婚でもないのに妻を離縁する者はだれでも、その女に姦通の罪を犯させることになる。離縁された女を妻にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」》
また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。
《天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。》
あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」