春先に、うるさいくらい囀っていた庭のうぐいす。
今は一声も聞くことができません。
うぐいすの生態をよく知らないのですが、今頃はどこに潜んでいるのでしょうか?
今日の福音箇所に登場するスズメから、ふと、こんなことを思っていました。
以前ここでお伝えしたことのあるワールドユースデーに日本の折り鶴を持っていくという計画。その5000羽が、修道会のみならず、近隣の教会の方々のお力もお借りして準備が整い、今日のごミサで奉納し、神父様に祝別していただきました。
この折り鶴が、8月にリスボン(ポルトガル)で世界の若者たちの手に渡って、平和を世界中に運んでくれたらいいなあ、と願わずにいられません。
スズメからうぐいす、そして鶴へと、まるで今日は、アッシジの聖フランチェスコの小鳥への説教を思わせるように鳥づくしエッセイになってしまいました。
聖人の逸話に登場する鳥は、かわいい小鳥ではなく、猛禽類(つまり人間)であったという解釈もあるそうですし、いかにもと思わされますが、今日は、無心に聖人の言葉に耳を傾けた小鳥たちと考えて、私もみことばを無心に受け止めたいです。
「人々を恐れてはならない。」
自分の中の恐れに対面する時、もっと自分が見え、そして神様の聖心も見えてきますね。
※画像は、ごミサの様子と、ミサ後の記念撮影です。ポルトガルに行くSr.もと子の旅の安全と実り多いミッションのためにみなさまお祈りください。
≪聖書箇所≫ マタイ 10:26-33
(そのとき、イエスは使徒たちに言われた。)「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」
「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」