年が明けて1週間経ちました。
通常の年だったら、まだ「お屠蘇気分」のところでしょうか。
このお正月に、私たちは何を見たでしょうか。
瓦礫となった住み慣れた家の前で途方にくれる顔、親しい人が見つからず72時間を前に焦燥にかられている顔…
私は、その人たちの周りに黙々と働く多くの方々を見て、本当に頭が下がりました。
何もなければ、暖かいお家の中でゆっくりできるところを、寒い寒い電柱の上で配線工事をしている方々、迷彩服で、あるいは近隣の県名の入ったジャケット姿で捜索に当たっている自衛隊や警察の方々、必死で避難所を作っている地方公務員の方々…
様々なシステム(例えば、wifi の無料開放や、SNSの安否確認システム、浴場の無料開放等)は、3·11の時より格段に早く起動して様子です。
それでも、現地で被災者に寄り添ってそれらのシステムを動かしていく人は必ず必要です。
さて、今日、お祝いするご公現の3人の博士たちは、何を見るために、はるばる旅をしてきたのでしょうか。そして何を見て、帰っていったのでしょう。
野中の洞窟のような家畜小屋の貧しい両親と生まれたばかりの乳飲み子です。
彼らはまず、ヘロデ「王」のお膝元で「王としてお生まれになった方」を尋ねまわります。このシーンは図らずも大変な皮肉になっています。
そして同じ皮肉は、洗礼者ヨハネの次の言葉にも隠されています。
「あなた方は、何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か…しなやかな服を着た人か。しなやかな服を着た人なら王宮にいる。では、何を見に行ったのか。預言者だ…預言者以上の者である」(マタイ11:7-9)
このお正月に見聞きした、悲惨な現実の中の勇気ある人々の働きに目を留めましょう。ここに、希望があります。
神様、あたたかい味噌汁の1杯すら届けることのできない私をお赦しください。せめて別の働きを精一杯いたしますので。
≪聖書箇所≫ マタイ 2:1-12
イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
『ユダの地、ベツレヘムよ、 お前はユダの指導者たちの中で 決していちばん小さいものではない。
お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。