4/14 若い人のための日曜日の聖書 復活節第三主日 ルカ24:35-48

やっとお天気がよくなりました。

今年になってから7人のグループで始めた聖書100週間。今、民数記まで来ました。

私にとっては3回目の聖書100週間ですが、今回はこの辺を読むことをことのほか辛く感じています。
これまでも、イスラエルによるパレスチナ侵攻は何度も繰り返されてきました。
しかし、停戦中だと私の神経も鈍くなって、実のところ忘れています。
今回は、攻撃のただなかで、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記と読み続けることになりました。

このことにも何か神様からのメッセージがあるとは思いながら、それがつかめないので苛立っている私がいます。

今回の福音箇所でイエス様は私たちに「平和」をくださいます。イエス様にしか与えることのできない平和、イエス様と共にいないならばいただけない平和。

世の中のあらゆる風雨の中で、「イエス様、どうか私に平和をください!」

あなたにすべてをささげた身なのに、私自身も私を取り巻く世界も、平和をもぎ取られています。

「あなた方に平和」というあなたのお声をきかせてください。

 

≪聖書箇所≫ ルカ 24:35-48

(そのとき、エルサレムに戻った二人の弟子は、)道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。
こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」こう言って、イエスは手と足をお見せになった。彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。
イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。