2017年7/9 若い人のための日曜日の聖書  年間第14主日  マタイ11:25-30

「本日の司会は、私、○○修道会一の美人、△△が務めさせていただきます」。

いつだったか、女子修道会の集まりに出た時、司会のシスターがこう自己紹介しました。

とても感じの良い、しかしいたって普通の顔立ちの中年のシスターでした。

出席者も全員シスター。

その会場から、どっと笑い声が起こり、一瞬にしてリラックスした和やかな雰囲気になったことは言うまでもありません。

しかしもし彼女が本当に美人だったらどうでしょう。

きっと「シスターのくせに鼻もちならない」ということになり、和やかな笑い声の代わりに、冷笑と白けた雰囲気が漂ったかもしれません。

 

さて、イエス様はこうした世の中の常識を超えて、いつもご自分に関して真実をストレートに語る方です。

「私だけが父を知っている。その私の心は柔和で謙遜。だからこの世の思い煩いで疲れているなら、私のところに来なさい。天の父のもとにいるのと同じようにあなたに安らぎをあげるから」。

では、具体的にどうしたら、イエス様のもとでくつろげるのでしょう。

 

これを読んでくださっている桜の聖母学院や明治学園の関係者の皆様は、「立腰」をご存知でしょう。

生徒時代、いやいややっていましたか?

それとも、立腰の味わいを習得しましたか?

最後の宗教の授業以来やっていない、という人がいたら、ぜひ思い出してやってみてください。

理想的には5分以上ですが、たとえ1分でもいいです。

腰を立てて静かにしていれば、あとは難しいことは言いません。

 

最近の脳科学では、何をしていても、何もしていなくても心に引っかかっていて頭を離れない心配事から解放されるには、マインドフルネスが最適といわれています。

マインドフルネスという一種の流行語には様々な解釈がありますが、皆さん方が共通ですでに体験しているマインドフルネスのエクササイズは立腰です。

立腰中は、頭を働かせて何かを判断するのでなく、過去の失敗や未来の不安を思いめぐらすのでもなく、ひたすら「今の自分」に集中するよう指導されたはずです。

宗教の言葉で語るなら、「今の自分」とは「幼子」のようになること。

小さい赤ちゃんにとっての最大の、というより唯一の関心事は「今」です。

そして「今の自分」に私たちが留まるなら、そこは神様の働いてくださる「場」となります。

 

当然ながら、立腰したからと言って、悩みごとが自動的に解消されるわけではありません。

しかし、神様はあなたをしっかり休ませて、かならず新しい視点を与えてくださいます。

私は人生の先輩として、このことを確信しています。  (Sr.斉藤雅代)

 

≪聖書箇所≫ マタイ11:25-30

そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」