2017年7/23 若い人のための日曜日の聖書  年間第16主日  マタイ13:24-43

「悪魔って、いると思う?」

宗教の時間にこんな質問をすると、多くの生徒たちは首を振ったり、にやにやしたりします。

科学万能主義の21世紀を生きる私たちは、神様も悪魔もひっくるめて、目に見えないものは存在しない、という思い込みに囚われているのかもしれません。

 

私は、神様が確かに「良いもの」として作ってくださった自分の内に、思いがけない冷たさや意地悪さや傲慢さを見出す時、悪魔が私の中に「毒麦」を蒔いていったことを感じます。

しかもこの「毒麦」、時によってはなかなか魅力的なのです。

 

むかーし読んだモンゴメリーの『赤毛のアン』シリーズの第3巻『アンの愛情Anne of the Island』の一節。

「私は悪魔がそんなにひどく醜いはずはないと思いますよ」ジェムシーナ伯母さんは思いにふけるようすだった。「もしもそんなに醜いなら、たいした害をしないわけですよ。私はどちらかといえば悪魔を美しい紳士としていつも考えていますよ」。(村岡花子訳)

“I don’t believe Old Nick can be so very, ugly” said Aunt Jamesina reflectively. “He wouldn’t do so much harm if he was. I always think of him as a rather handsome gentleman.”

 

大学生になったアンと3人の同期生の話相手のジェムシーナ伯母さんのこの賢い言葉は、50年近く私の心に残っていました。

おそらく、「悪魔は一見ハンサムで魅力的」という解釈が、当時の私にピンときたのでしょう。

今も、まったくそう思います。

ちょうど、バレエ『白鳥の湖』の中の悪魔ロットバルトが、あくまでも魅惑的であるように。(場合によっては、ジークフリート王子よりカッコイイ!)

 

また、「悪魔の最大の戦略は、『悪魔なんか存在しない』と人々に思い込ませることだ」という言葉も気に入っています。

 

まあ、このような言葉が心に残っているというだけで、しばしばその外見と戦略にだまされてしまうのですが。

話を元に戻しましょう。

私たちは(少なくとも私は)、善い者でありたいと思っても、一生涯に渡って「善い者」であり続けることはできません。

悪魔に蒔かれた「毒麦」にわるさをされて、思いがけないことを思ったり、言ったり、やったり、やらなかったりしてしまうことがあります。

しかし神様は忍耐深い方ですから、「両方とも育つままにしておきなさい」とおっしゃるのです。

そして、私たちが時が来たら整理・処分できるように、支えてくださいます。

私たちにできることは、「見極める目をください」と祈ることでしょうか。

※カトリック教会では一般に、このたとえの麦と毒麦を、世の中の善(人)と悪(人)、あるいは教会の中の分裂を意味すると解釈していますが、私は今回、個人(私自身)の中の善と悪の問題としてとらえてみました。  (Sr.斉藤雅代)

 

≪聖書箇所≫ マタイ13:24-43

イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。僕たちが主人のところに来て言った。『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』主人は、『敵の仕業だ』と言った。そこで、僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」また、別のたとえをお話しになった。「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」イエスはこれらのことをみな、たとえを用いて群衆に語られ、たとえを用いないでは何も語られなかった。それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「わたしは口を開いてたとえを用い、天地創造の時から隠されていたことを告げる。」それから、イエスは群衆を後に残して家にお入りになった。すると、弟子たちがそばに寄って来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。イエスはお答えになった。「良い種を蒔く者は人の子、畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。」

『[caption id="attachment_627" align="alignnone" width="300"] 『アンの愛情Anne of the Island』初版本

Anne of the Island』初版本[/caption]