2017年8/6 若い人のための日曜日の聖書  主の変容の主日  マタイ17:1-9

けが人を診察するアルーペ神父様

「私は毎朝、夫の『変容』を見ていました」。

以前TVで放映されたチェルノブイリ原発事故(1986年4月26日)の犠牲者の妻の一言が忘れられません。

通常の火傷なら、水泡が破れてその後、皮膚が再生します。

しかし、被爆者の皮膚は再生しない。

 

今年も、8月6日がやってきました。

多くの日本人にとって、また世界中の核兵器廃絶に関心を寄せている人にとって、特別な日です。

カトリック信者にとっては、広島原爆と「主の変容の祝日」が重なる日で、今年はさらに日曜日にあたっています。

 

今回は、1945年8月6日の原爆を広島で体験し、200名あまりのけが人を収容、救護したイエズス会のペドロ・アルーペ神父様についてご紹介したいと思います。

 

アルーペ神父様は、1907年にスペインのバスク地方で生まれました。

大学は医学部でしたが、19歳でイエズス会の入会し、1940年に日本に派遣されました。

そして、広島の長束にあった修練院(修道者を育てる場。爆心地から4.5キロ)で、ミサを捧げていた最中に被爆します。

彼は、外科医として科学者として、すぐに事の重大性を察知し、家具などが倒れていた修練院を掃除してけが人を収容し、ほとんど何の医薬品もない中で、手当てを始めました。

 

主の変容の日に被爆者の治療にあたったアルーペ神父様は、どのような思いでこのけが人たちの、また広島の街の「変容」を見ていらしたのでしょう。

彼は広島についてこう書き残しています。

 

広島は私たちの心に突き刺さっている。時間とは関係がない。不動の永遠に属している。悲しい永遠!人間のあのような悲劇が絶えず存在するなんて!人間の?いやそうではない、非人間的な悲劇だ。何十万人の命が無差別に奪われたからというだけでなく、自分自身の技術を誇りたいための人間の自己破壊があり得るという前兆として、人類を脅かし続けているからである。

 

動物は「非動物的」になることがありませんが、人間はいとも簡単に「非人間的」になれます。

しかも技術への誇りと奢りが自己破壊につながるという彼が読み取った前兆は、まさに今、福島原発事故として、また地球温暖化などの諸問題として現実となっています。

 

それでもアルーペ神父様は、神にゆるぎない希望をおく人であり、「直しようのない楽観主義者」と呼ばれた人でした。

きっと彼は、人間のエゴイズムによる目の前の変容に、受難の前のイエス様のご変容を重ね合わせていたに違いありません。

 

後に、イエズス会の総長(ローマ教皇に次いでカトリック界に影響力をもつと言ってもいいでしょう)となり、20世紀末の中南米のカトリック教会とバチカンとを繋ぎ止める役割も果たしました。(Sr.斉藤雅代)

 

≪聖書箇所≫ マタイ17:1-9

六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかにはだれもいなかった。一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」と弟子たちに命じられた。

祈るアルーペ神父様