ヴィヴァルディがすたり、大バッハすら流行遅れとされて演奏されなかった時代がある。18世紀中盤ころから19世紀初頭まで。バロック音楽の真価が見直されるには、メンデルスゾーンを待たなければならなかった。
私は若い頃から今に至るまで、バッハとモーツアルトだけは、練習しても練習しても、し飽きることがない。何度弾いても、吹いても、歌っても、そのたびに新しい音、新しい和声、新しい何かの発見がある。他の作曲家のものではこうはいかない。残念ながら弦楽器に縁がないので、ヴィヴァルディやコレッリの作品はもっぱら聴き手としてしか評価できないが、弦楽器奏者にとって、彼らの作品も練習し飽きることのないものなのかもしれない。
そのヴィヴァルディが凋落していく18世紀中盤のヴェネツィアを舞台に、ヴィヴァルディを中心に繋がりあっていた女性たち(彼の弟子、姉妹、愛人)の人生を、割合長いスタンスでとらえているのが、大島真寿美の『ピエタ』である。一枚の失われた自筆譜の行方を「通奏低音」として、女性たちの友情、嫉妬、誤解と和解、また彼女たちの世相理解が、まるでヴェネツィアの運河のさざ波が寄せては返るように描かれている。そのきめ細やかさは、さすがに女性作家の作品と思われた。また、ヴェネツィアの風情、特にカーニバルの時期の魅力的な情景もよく描写されている。
ちなみにタイトルの「ピエタ」は、ミケランジェロの有名なピエタ像のことではなく、ヴィヴァルディが長いあいだ関わりをもっていたヴェネツィアの「ピエタ慈善院Ospedale della Pietà」のことである。慈善院と訳されたOspedaleは、英語で言えばホテルHotel、病院Hospital、おもてなしHospitalityと同じ語源から派生した語で、中世から近世にかけての修道院がいかに貧しい人、見捨てられた人、病人を「イエス・キリストその方そのもの」として受け入れ、お世話していたかの片鱗が伺える。 (Sr.斉藤雅代)
大島真寿美著 『ピエタ』ポプラ社 (2011/2/11)