『楽園のカンヴァス』を読んで

海外暮らしの孤独な環境の中で、美術作品を「お友だち」とし、「友だちの家に行ってくる。呼ばれたの」と美術館にかよっていた少女織絵が、長じて美術史研究者になった。

専門は、アンリ・ルソー。

そして彼女と、同じくルソー研究者の米国人とが、ルソーに帰属すると想定されるひとつの作品の真贋評定のためにバーゼルに呼び寄せられる。

ミステリー仕立て(ただし、殺人はなし)の面白い小説でした。

ルソーといえば、40歳を過ぎて絵を描きはじめ、ほぼだれにも認められず、極貧の中で生涯を閉じた画家として有名です。

皆さんはたぶん、世界史か美術の教科書で「眠るジプシー女」か「夢」を見たことがあるでしょう。

鮮やかな色彩の現実ばなれした空間。

重量感のある人物。

写実的であると同時にデザイン的な動植物。

バランスを欠いている、ということがバランスになっている不思議さ。

ルソーの生きた20世紀初頭のパリ、1980年代のニューヨークとバーゼル、そして21世紀の倉敷が交錯する物語運びに、すっかり引き込まれてしまいました。

そして、こんな一節が心に残りました。

織絵が亡き父からの言葉として聴き取ったものです。

「アートを理解する、ということは、この世界を理解する、ということ。アートを愛する、ということは、この世界を愛する、ということ。いくらアートが好きだからって、美術館や画集で作品を見ていればいいというもんじゃないだろう?ほんとうにアートが好きならば、君が生きているこの世界をみつめ、感じて、愛することが大切なんだよ」。

 

私も、中1の担任だった美術の先生が絵を見ることを教えてくださって以来、美術館が好きでした。

イタリアに留学していた時も、随分美術館に慰められました。

でも、絵を見ることは、神様がお作りくださったこの世界を、視点を変えて見ること、画家の視点を借りてみること、と気づかされました。

いずれにせよこの世界をしっかり見て、感じて、愛したいです、イエス様のように。(Sr.斉藤雅代)

原田マハ著、『楽園のカンヴァス』 新潮文庫 (2014/6/27 )