映画『ローマ法王になる日まで』を見て

イタリア語原題は「Chiamatemi Francesco―Il papa della gente 私をフランシスコと呼んでください―民衆の教皇」

カトリック信者であると否とにかかわらず、この映画『ローマ法王になる日まで』をご覧になった方は多いのではないだろうか?

彼が生きたイエズス会アルゼンチン管区長時代(1973-79)は、同国の独裁政治と重なり、どんなに過酷な時代であったことか。この時代の恐怖と苦悩に私自身おそれおののいた映画であった。

この映画の中で、注目したひとつの場面がある。イエズス会への入会を決めた彼は学友たちとの談話の中で、恋人ガブリエラに向かって言う。「もう、決めたことだ」と。

何年も前、高校の錬成会の講師として来られた某神父様は自己紹介として、こんな話をされた。

「僕には結婚したい人がいた。手紙を書いて返事を待っていた。しかし僕にはもうひとつの道、『司祭職』への道もあった。待っていた返事が来ないので、思い切って修道会に入会の許可を願う手紙を出した。その後、「結婚しましょう」という返事がその女性から来た。しかし僕も男だ、もう決めたことだ」と。

そして今、教皇フランシスコと同じ、イエズス会の某神父様がある。

誰がどのような道を選ぶのか? どのようにしてわが行く道を選ぶのか・・・

 

いつか、目にした美智子皇后様の詠まれた歌を思い出す。

かの時に我がとらざりし分去(わかさ)れの片への道はいづこ行きけむ

皇太子妃として取らなかったあの時の別の道は、どんな道だったのでしょう・・・

 

人生、いろいろと決めなければならない時がある。就職の時、結婚の時・・・

誰しも迷い、不安に陥ることがある。あり得るかも知れない別の人生を思い描くこともあろう・・・でも、ひとはっきりしていることがある。それは、私のどんな人生であろうとも、常に神が共にいてくださるということだ。いつでも、どんな時にも…

 

わたしの目には、あなたは価高く、貴く

わたしはあなたを愛し…

 

恐れるな、

わたしはあなたと共にいる。  (イザヤ書43:4,5)    (Sr.辻上好子)

俳優さんより一段と素晴らしい教皇様の笑顔