感謝ミサでの、サレジオ会田村宣行神父様の素晴らしいお説教を、日本語と神父様ご自身の英語要約でお届けします。
マリアは、信仰の模範である、と言われます。それは、今日の福音にあるように、「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」とエリザベトが言った言葉からわかります。主の約束を信じること、これが信仰です。
マリアの生涯において、想定外のことが何度も起こります。イエスを身ごもったことを天使から告げられ、偉大な人になる、というのですが、どうなるかわかりません。見えないものを信じる。まだ実現していないことを信じる。マリアはそれができたのです。わたしたちもまた、主の約束を信じるように招かれています。神はわたしたちを永遠の命へと招いておられるのですが、それは見えるものではありません。しかし、マリアが信じたように、わたしたちにも信じることができるのです。
そして、マリアは、謙遜な人でした。マリアの賛歌といわれるこの歌は、マリアを賛美する歌ではありません。マリアは主が自分のような小さなものにしてくださったことを賛美し、貧しいものの上に憐みを注いでくださることを賛美しています。それは、マリアがすべては神さまからの恵みであることを知っていたからです。そしてマリアは、エリザベトを助けるために来たのです。自分も身ごもっていて大変なのに、自分のことではなく、助けを必要としている人のためにやってきたのです。マリアは人に奉仕することに喜びを見出していました。これこそ、私たち奉献生活者に与えられる大きな喜びです。本当のよろこびは与えられた恵みを分かち合うときに与えられるのです。人のために一生懸命尽くすことが自分の喜びになっていくのです。
わたしたちもまた、マリアの謙遜に倣い、神が私たちにしてくださった出来事に感謝し、賛美して、よろこびのうちに生きることができますように。マリアの喜びは、神からくるものです。わたしたちもすべてを神さまにゆだねて、まことのよろこびのうちに生きることができますように。そして今日そのような生き方を25年、50年もしてきた方々に、マリア様に向かって言われた同じ言葉をささげます。「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
In today’s Gospel, Elizabeth said, “Blessed is she who believed that the promise made her by the Lord would be fulfilled.
We can say that Mary was happy because she believed that the promise made her by the Lord would be fulfilled. Even if there were a lot of difficulties, she believed the promise of God. Mary believed what she hadn’t seen yet.
She was very humble because she knew that God had done great things for the little one like her. She knew that everything was God’s grace.
And she visited Elizabeth in order to help her. She felt joy through her service for others. She knew that true joy comes from God. This kind of life is our consecrated life.
Let us ask for the intercession of Mary so that we could also believe the promise of God as she continued to believe it through her whole life. Now I will give the words that Elizabeth said to Mary for those who are celebrating 25th or 50th anniversary for the profession, “Blessed is she who believed that the promise made her by the Lord would be fulfilled.”