6/9 若い人のための日曜日の聖書  聖霊降臨の主日 使徒言行録 2:1-11

旧聖堂から新聖堂に移される予定の聖霊降臨。マリア様がてっぺんに!

私たちの修道会、コングレガシオン・ド・ノートルダムが大切にしている二つのマリア像があります。

ひとつは「ご訪問の聖母」。天使のお告げにより神の子を宿したことを知ったマリア様が最初にとった行動は、親戚のエリサベトを訪問することでした。現代の私たちのように「旅=娯楽」ではなかった時代に、妊婦の身でありながら、同じく妊娠していたエリサベトを訪ね、共に神様からの恵みを喜び合い、おそらくはエリサベトの出産を助けたであろう若いマリア様の行動力に驚かされます。

もうひとつは、聖霊降臨の場に弟子たちと共にいて、あふれるばかりの恵みをいただかれ、教会の誕生に立ち会ったたマリア様。

もちろん聖書には、マリア様がその場にいらしたとは書いてありません。しかし「一同が一つになって集まっている」ところにマリア様が不在のはずがない、というのがカトリック教会の考え方です。

いずれにせよ、「人を訪ね、人と共にいるマリア様」が、私たちの修道会の会員が目指すありかたです。

この文章を実は私は前もってご昇天の日に書いています。この文章が載る頃、私は中米で開かれる私たちの会のある会議の場にいて、それこそ4か国語が飛び交うただ中にいます。会議の議題は様々ですが、要は「人を訪ね、人と共にいるマリア様」を現代世界において生きるためにどうあるべきか、どうすべきか、がいつも議題の背景にある、と言ったらいいでしょうか。

どうぞ皆さまも、聖霊からたくさんの恵みを受けて、「人を訪ね、人と共にいるマリア様」に倣い、私たちの生活をよりアクティヴなものに、生き生きとしたものにしませんか。

そしてどうぞ、私たちが異なる言葉で話しても気持ちが通じ合うようにお祈りください。 (Sr.斉藤雅代)

 

≪聖書箇所≫ 使徒言行録 2:1-11

五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」