スーパーのレジ袋が有料になって早くも一年。
マイバッグと共に、風呂敷が流行っていると聞きます。
韓ドラの時代劇に出てくる旅荷物。円筒形の包みを背中に背負う姿はなかなか魅力的です。
私たちの修道会の創立者マルグリット・プールジョワは、バルションと呼ばれる丸い風呂敷包みみたいなものを携えて旅をしたようです。いったい何が入っていたのでしょう。
昔の人は、本当に荷物が少なかったんだなぁ、それがかっこいいなぁと思います。
さてイエス様は、弟子たちを派遣するにあたって、旅支度の細かい指定をしています。
時代的な背景もあるし、どうしてサンダルは履いていいんだろうとか、どうして下着を2枚着てはいけないんだろうとか、気になる点が多々あります。
ただ伝わってくるのは、神様だけを頼ってこの旅を続けるなら、宣教は実るということです。
私たちは現代生活の中で、なかなかこのようにするわけにいきません。
まずはお金、あるいはクレジットカードや交通系ICカードなどともかく支払いのできるツール。
下着の替えを持つか、旅行の途中でユニクロに寄って購入するか。
そしてスマホ! これを忘れたら、一大事です。
いつの間にかどこに行くにも必携アイテムになってしまった、というところが問題なのかもしれません。
私はどれだけ神様に頼って今の生活をしているかしら、と振り返りました。
もしかしたら、スマホを、このコロナ禍での便利な宣教のツールと思いながら、実は「偶像崇拝」の対象にしているかもしれません。
神様、スマホがあなたより大切だなんて、思ったこともありません。でも、祈りの時間より、スマホを触っている時間の方が長いことは事実です。
スマホより、あなたと触れ合う時間、スマホを通してあなたが私に望まれるだれかと接する時間を増やすよう心がけて、この一週間を過ごさせてください。あなたの足の裏の埃を、私の前で払い落とされないように。 (斉藤雅代, cnd)
≪聖書箇所≫ マルコ6:7-13
(そのとき、イエスは)十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。その際、汚れた霊に対する権能を授け、旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた。また、こうも言われた。「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい。しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい。」十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。