5/15 若い人のための日曜日の聖書 復活節第五主日 ヨハネ 13:31-33a, 34-35

バラの季節です

土曜日の日経新聞を読む楽しみのひとつは、最後の文化欄。最近、作家の佐藤賢一氏の「王の綽名」とタイトルされた連載エッセイがあることです。旧新約聖書のオリエントの王様たちも同名の人が多いです(アンティオコスとか、ヘロデとか、何人も出てきますね)が、ヨーロッパにも同じ名前の王様たちに「獅子心王」などと付けて区別しています。「美王、端麗王」「美髭王」はいい人しても「肥満王」「禿頭王」「失地王」などは後々までもこんな名前が残って気の毒な気もしてきます。ところで5月14日の日経新聞の「王の綽名」では、「聖大公」キーウ大公ウォロディーミル1世が扱われていました。最初からこの連載にこの方が登場する予定だったのか、ウクライナ・ロシア情勢に合わせて登場したのか。最後は、「ロシア大統領プーチンの名前がウラジーミル(ウォロディーミルのロシア語読み)・・・ウクライナ大統領、ゼレンスキーの名前もウォロディーミル・・・両者の戦いに聖大公ウォロディーミルは何を思うか」と結ばれていました。スラブ世界にキリスト教を広めたウォロディーミルの名をもつ2人の政治家の「今」が、あまりにイエス様の提示された「新しい掟」「愛の掟」から遠いこと、かと言って、どのような解決策も私なぞの頭には浮かばないことを悔しく残念に思っています。

「愛の掟」とは何とも美しい言葉ですが、これを生きることは何と難しいのでしょう。

「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」。

この一週間は、あらためてこんなに小さくつまらない私を愛してくださるイエス様を思い、少しでも、少しずつでも、イエス様の愛に近づけることを願って過ごしたいです。

イエス様が、「楽しいお食事会」ではなく、最後の晩餐の席で弟子たちに切に願ったその心境に思いを馳せながら。

 

≪聖書箇所≫ ヨハネ 13:31-33a, 34-35

さて、ユダが(晩餐の広間から)出て行くと、イエスは言われた。「今や、人の子は栄光を受けた。神も人の子によって栄光をお受けになった。神が人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神も御自身によって人の子に栄光をお与えになる。しかも、すぐにお与えになる。あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」