5/14 若い人のための日曜日の聖書 復活節第六主日 ヨハネ 14:15-21

ルルドのマリア様の脇の灌木。

5月の連休の頃から、ここ調布修道院には、続々と世界から姉妹たちが集まっています。私たちの修道会、コングレガシオン・ド・ノートルダムの、4年ぶりの総協議会(各管区・地区からリーダー2名が参加)です。これは、通常なら毎年2回開かれ、1回はモントリオールの本部、もう1回は私たちが宣教している国のどこか、と決まっています。前回は、2019年の6月に中米で開かれましたので、私は日本のリーダーのお付き」として参加させていただきました。そしてその後の4年は、ほとんどZoomでした。その間に私たちはすっかりZoomに慣れたので、今回は、参加者は対面、会議中の通訳はオンラインでカナダから、ということになりました。

久々に姉妹たちに直接会えるのは、本当に嬉しいことです。そして、以前のように抱き合って挨拶できるのも!(もちろん、必要そうなときはみなマスクをします。)

この世においていただいている体をつかって気持ちを表現し、その人の存在を身近に感じられるのは、なんと素晴らしいことでしょう。

「しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る」。

イエス様がこう約束してくださっているのですから、私たちは復活のイエス様を生きている姉妹と同じように「見える」はず。きっと、見える目をもっていれば。もしかしたら、この世の実在以上にはっきりと見え、感じられるのかもしれません。

祈りの中で、ほんの短い間、確かに、イエス様、あなたを見ています。そしてあなたは、私があなたを見ている以上に、私を見ていてくださっています。これをもっと感じさせてください。

もうすぐご昇天ですね。お弟子さんたちは、ポカンと空を見上げていた、と使徒言行録に書いてありますが、悲しんだ、とは書いてありません。きっと、イエス様が生きていらした時以上に、ご復活後に現れてくださった時以上に、お弟子さんたちはイエス様を身近に感じていたに違いありません。ペトロさん、ヨハネさん、そうでしょう?

 

≪聖書箇所≫ ヨハネ 14:15-21

(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」