9/24若い人のための日曜日の聖書 年間第25主日 マタイ 18:15-20

 

先週の管区会議で選ばれた、新しい管区長と顧問会のメンバー。お一人だけ別に映っている姉妹は、体調不良のために会議に出られないままに選出された姉妹です。

やっと、やっと涼しくなってきました。

そして店頭に並んでいるぶどうが、おいしそうに輝いている季節に、ぶどう園の話!
最もイエス様の時代のぶどうは、そのまま食べるのではなくて、ぶどう酒の原料としてのぶどうだったでしょう。

昔、このたとえ話を中高生と読むと、「不公平だ」とか「ずるい」とか言われました。彼らの考える「公平性」とイエス様の実行される公平性とは、次元が違うようです。

さて、9月10日のこの欄にも書いたように、ある程度年齢が行ってから修道会に入れていただいた私は、つくづく、夕方に雇われ労働者だなぁと思います。そして、修道会の中の公平性は、イエス様の目指される公平性に近いかな、と。本当に様々な人が寛大な神様に呼ばれ、それぞれの働き方で、教会と社会に貢献しています。

先週末は、私たちの修道会の管区会議で、来年4月1日から4年間の新しいリーダーシップ・チームの方々が選出されました。これからの舵取りが難しい期間を担当してくださることに、心から感謝です。

どうか皆様、私たちがこの姉妹方を中心に、ますます寛大なる神様に倣って、世の中に奉仕していくことができるよう、祈りで支えてください。

 

≪聖書箇所≫ マタイ 18:15-20

(そのとき、イエスは弟子たちにこのたとえを語られた。)「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。それで、受け取ると、主人に不平を言った。『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」