2018年3/11 若い人のための日曜日の聖書  四旬節第四主日 ヨハネ3:14-21

 

Sebastian Bourdonの描く青銅の蛇のシーン

「アスクレピオスの杖」ってご存知ですか?

医療、看護、薬学などの世界にいる人はご存知かもしれませんね。古代ギリシャの医者アスクレピオスが持っていた、蛇の巻き付いた杖のことで、国連の一機関であるWHO世界保健機構や米国医師会のマークに採用されています。アスクレピオスは優れた医師で、死者でさえ生き返らせた、と言われています。

あらっ、だれかさんのようですね。

さて、今日の福音書と民数記に出てくる「モーセの青銅の蛇の杖」は、いずれも罪の赦しとそれに伴う体の癒しの道具になっています。モーセに逆らったイスラエルの民が、炎の蛇(毒蛇)に悩まされた時、神様はモーセに命じます。「あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る」(民数記21)。

なぜ、「青銅で作った」そして「蛇」だったのでしょうね。 蛇といえば、エバを誘惑した悪の象徴。そして「作った」といえば、あれほど偶像崇拝を嫌われた神様が偶像を作ることを命じられたわけですから、この出来事は二重に不思議です。もしかしたら蛇は、悪であれ善であれ、「何かものすごい力」の象徴なのかもしれません。

そして、今回の福音箇所では、「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない」と。さらに旧約聖書には、「木にかけられた者は、神に呪われたもの」(申命記21:23)という表現もあり、「イエス様が、蛇と同じように十字架にかけられ、呪われた者にまでなってくださった。そしてそのイエス様を仰ぎ見るなら、私たちは救われる」、ということが分かります。

人のために、特に愛する者のために、損をしたり、苦しい思いをしたり、何かを耐えたりすることが、愛をさらに深めることがあります。しかし、呪われた者にまでなれるでしょうか。私は、ちょっと自信がないです。

イエス様、私のために呪われた者になってくださったことを感謝します。どうか私も、愛のために損をしたり、苦しんだりすることができるよう、そして聖心ならば呪われた者になることを望む恵みを与えてください。

奇しくも、この四旬節第四主日は、3.11の七周忌。たくさんの犠牲となった方々のために、あの日、あの時、青銅の蛇があったらよかったのに、と思わざるをえません。     (Sr.斉藤雅代)

≪聖書箇所≫ ヨハネ3:14-21

そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。」

元祖「アスクレピオスの杖」

WHOのマーク

米国医師協会のマーク