12/23 若い人のための日曜日の聖書  待降節第4主日 ルカ1:39-45

1222日の土曜日、私たちコングレガシオン・ド・ノートルダム調布修道院のメンバーは、解体が終わって改築に入ろうとしている修道院の設計や建設に携わっていらっしゃる方々とともに、起工式を行いました。東京教区長の菊地功大司教様と、サレジオ会日本管区長の濱口秀昭神父様の司式でした。小雨の降る中のお式が終わって仮住まいの、でも温かい修道院の中に入った時は、みなとても幸せな気分でした。

7月に解体工事が始まってから、同時に仮住まいの棟も修繕していただいたので、それまであまり住む人のいなかったこの棟に、5か月間で本当にたくさんの方が足を踏み入れてくださいました。電気屋さん、水道屋さん、大工さん…。お付き合いが増えて、毎年お世話になった方々にクリスマスカードや手作りのクッキーをお送りしているのですが、その数も最高だったような気がします。

私たちの修道会のあり方は、今日の福音箇所、エリザベトを訪問する聖母のように生きることです。でも実際に年齢が進み、足腰が弱ってくると、若いマリア様のように「急いで山里に」出向くことは次第に難しくなってきます。もちろん、できる限り私たちを必要とする方々のところに出向きたいと思っていますが、同時に、修道院に温かく迎え入れる、ということも重視していかなくてはなりません。その観点から、新しい修道院をできる限り多くの方々に開かれたところにしたいと思っています。

たとえば、お寺や神社の境内地に入るのに「人の家だ」と躊躇する人はいないでしょう。ところが修道院となると、長い間の伝統で、「閉ざされたところ」「関係者以外立ち入り禁止」と思っている人が多いのではないでしょうか。確かに、現在も「閉ざされた中で神に祈る」ことを使命としている修道会もあります。それはそれで、本当に尊いことです。でも、私たちは違います。私たちは、この世界と、人々と交わることが第一の使命です。この記事を読んでくださっている皆さん、どうか修道院が完成したら、お立ち寄りくださいね。ただし、特定のシスターに会いたい時は、前もって連絡してください。私のように飛び回っている者もいるので。 (Sr.斉藤雅代)

≪聖書箇所≫ ルカ 1:39-45

そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」