12/25と30 若い人のための日曜日の聖書  降誕祭夜半のミサ・聖家族の主日の合併号 ルカ2:1-14, 41-52

調布修道院の幼子イエス様その1

この10月、私はある方のお見舞いのために、ほぼ毎日修道院の裏手にある病院に通いました。その方の病室は新生児室の真ん前にあって、時々、新生児室のカーテンが開いていて廊下側のガラス窓のすぐそばに置かれた保育器に入れられた赤ちゃんが見えました。

なんて小さくて、でもなんてすべてが整っているのでしょう。赤ちゃんはたいてい眠っていました。体の割に大きなおむつを付けていたから、いっそう小さく見えたのかもしれません。まつ毛、くちびる、指、爪、どれをとっても小さくて精巧で…神様って素晴らしいなあ、と感心してしまいました。何時間見ていても、見飽きない感じでした。こんな赤ちゃんを出産したお母さんは、どんなに誇らしいでしょう。

でも、どんな赤ちゃんも永遠に「小さな可愛い赤ちゃん」ではありません。やがて大きくなって自立していきます。反抗期があり、考え方や意見の対立があります。親子であっても「他者」ですから、理解できないこともあるはずです。

「5歳の頃の娘は可愛かったなあ。あの頃には二度と戻れない」。

中学3年生のお嬢さんに反発されまくっているあるお父さんから、最近聞いた言葉です。気の毒ではありますが、この時期を乗り切って、お嬢さんとの新しい関係を築いていかなくてはなりません。親にとっては辛い仕事と思います。

「どうして僕を探して右往左往したの。僕はずっと僕のお父さんの家にいたんだよ。あったり前じゃない」。

イエス様がこんな憎まれ口をきいたかどうかは、マリア様とヨセフ様しか知りませんが、おそらくこの両親が「神の子を授かった」「神の子を預かって育てた」と再自覚した瞬間だったことでしょう。ヨゼフ様にとってみれば、「自分の父の家」がナザレの家を意味するのでないことは、どんなに胸の痛むことだったか。それを聞くマリア様もどんなに痛かったか、と想像されます。

しかも、このイエス様の「自分の父の家にいること」が、やがて十字架の道へと繋がっていくのです。ちょうど、降誕祭と聖家族の主日の真ん中で読まれるルカによる福音書の一節で、預言されているとおりです。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます」(ルカ2:34-35)

私が見惚れた小さい赤ちゃんに、どんな人生が待っているのでしょう。

私はもう還暦すぎですが、それでもこれから先の修道生活に何が待っているのでしょう。

これを読んでくださっているあなたに、どんな未来が開けるでしょう。

…すべて、神様を信頼してついていくしかありません。あなたの家にいさせてください、あなたのご計画の中に。 (Sr.斉藤雅代)

※写真は、調布修道院のBaby Jesusたち。

≪聖書箇所≫ ルカ 2:1-14, 41-52

そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。

その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。

「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」

(イエスの)両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。

調布修道院の幼子イエス様その2

調布修道院の幼子イエス様その3