1/6 若い人のための日曜日の聖書  主の公現の主日 マタイ2:1-12

調布修道院の公現祭のための飾りつけ

最近読んでいた本『からくさ図書館来客簿』第5集に、八瀬の赦免地踊りのことが出てきました。地名もこの祭礼もまったく知らなかったので、さっそくSafariで調べながらストーリーを読み進めました。頭上に5キロの透かし彫りの灯籠を載せ、女装した13-14歳の男の子たちの行列の幻想的な味わいを動画で楽しみ、すっかり八瀬に行った気分になりました。

…行った気分? これが問題!

今は、SafariGoogleを駆使すれば、いつでもどこからでも必要な情報にアクセスできて、「そこへ行った気分」「新しい知見を得た気分」になれます。

海外旅行をする若者が減っているという統計があります。さらに、「若者と言えばお酒離れにタバコ離れ、結婚離れに交際離れ、家離れに車離れ」(https://chicken-journey.com/young-people-lack-of-interest-in-travel/

)とか。じゃあ、一体何しているの? 高度成長期に青春してしまった私には考えられないことだらけ(これは周りの友人たちを含めてトータルにみた時のことであって、私自身はタバコ、結婚、車には関与しませんでしたが)

まさか海外旅行離れの原因がSafariGoogleの検索結果から得られるヴァーチャル体験のせいのみとは思いませんが、ネット上で「そこへ行った気分」「新しい知見を得た気分」になれるのは便利だけど危険、と思わされました。

二千年前、占星術の博士たちは東方から旅をしてきました。不思議な人たちです。彼らにとって「ユダヤ人の王」がどれほどの意味をもっていたのでしょうか。旅が娯楽になりえない時代に他国に旅をし、所在のよく分からないユダヤ人の王を探し求めた彼らは、聖書さえ読んだことがなかった。もし読んでいれば、最初からエルサレムでなく、ベツレヘムに向かったでしょう。

彼らの牽引力となったのは、「その方の星」だけでした。

これを読んでくださっている若い人は、海外旅行離れでも、他の〇〇離れでもないとして、何かをする時の牽引力は一体何でしょうか。

何があなたの「星」ですか。

自己実現、自己顕示、夢の達成、経済的理由…。そうであっても、いいと思います。どれも悪いことではありません。ただ、その中に1パーセントでも、「神様に惹かれて」、「だれかのために」というところがあったら嬉しいです。

また、何を自分の「星」とするかは選べます。神様その方そのものがあなたの星であったら、あなたをどのように導いてくださるでしょう。ちょっと想像してみませんか。

星に導かれて誕生まもない救い主に対面した博士たちは、その後どのような人生を辿ったのでしょうか。  (Sr.斉藤雅代)

≪聖書箇所≫ マタイ2:1-12

イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げたところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

お供えを運んできたのは、博士たちのラクダでした