3/10 若い人のための日曜日の聖書  四旬節第1主日 ルカ 4:1-13

南西フランス、コンクのサンフォア修道院聖堂の入り口にある「最後の審判」。悪魔は最下段の右の方にいます。

「悪魔は秘密が好き」。

最近、心にわだかまっていることをある姉妹に打ち明けたら、こう言われました。「だから打ち明けてくれてありがとう。これで悪魔に引っ張られずに、神様の方に(解決に)一歩近づいたね」という意味です。

修道者に求められる徳、というか資質というものがあります。明るさとか柔和とか謙遜とか協調性は、修道者でなくても、キリスト者なら、そして社会人ならだれにでも求められる資質でしょう。

たとえば、「共同生活ができる」。これは修道者に求められる大切な要素です。もちろん単独行動ができての上です。それから、「透明性」ということもよく言われます。

修道家族の前に透明、つまり隠し事がない人は、神様の前でも隠し事のない人です。もちろん人間である以上「隠し事」や「秘め事」は残ります。でも、修道院の全員とは言いませんが、だれにも言えずに抱え込んでいることがあるとしたら、しかもたくさんあるとしたら、共に暮らす人には「あの姉妹には何かある」と気付かれます。

自分の隠し事に気付かない人、気付きたくない人もいます。自分のある部分を隠したままで祈るとしたら、その祈りが空しいとまでは言いませんが、せっかくの神様とさらに親しくなるチャンスを無駄にしていることになります。

そう考えると、悪魔の誘惑さえも、神様とのさらなる親しさを得るチャンスとすることのできるこの「透明性」という資質は大切だなあ、と気付かされます。

イエス様がもし(ありえませんが)、悪魔の誘惑に負けて、この世の富や栄誉を欲したとしたら、次に悪魔は言うに違いありません。

「イエス様、この取引に関しては神様には内緒にしましょうぜ。ましてマリア様なんかにしゃべっちゃだめですよ。女はおしゃべりですから、神様に筒抜けです」。   (Sr.斉藤雅代)

≪聖書箇所≫ ルカ 4:1-13

(そのとき、)イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中をによって引き回され、四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。そこで、悪魔はイエスに言った。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。更に、悪魔はイエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた。そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」イエスはお答えになった。
「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」そこで、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った。「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。というのは、こう書いてあるからだ。『神はあなたのために天使たちに命じて、あなたをしっかり守らせる。』また、『あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える。』」イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」とお答えになった。悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。