6/30 若い人のための日曜日の聖書  年間第13主日 ルカ 9:51-62

左が中井神父様。右も今は亡き藤川神父様。

「いのししシスターになってはいけない」。

正式にシスターになる前の期間を修練期といい、この期間を過ごしている人を、修練者、ノビスなどと呼びます。

今も続いているようですが、私がノビスだった頃、様々な修道会のノビスの研修会「合同修練」がありました。月一回、集まって様々な研修を受けるのですが、研修で新たな知見を得るだけでなく、他の修道会との合同であるがゆえに、自分の会のアイデンティティを深めるためにも役立ちました。

私が通っていた頃の指導司祭で、イエズス会の中井允神父様(実名を出させていただいてもいいでしょう)でした。当時、今の私くらいの年齢でしたでしょうか。この神父様の言葉のいくつかは忘れられません。

「いのししシスターになってはいけない」。

これは、年を経るにしたがって初心を忘れ、頑固に猪突猛進するだけのシスターになってはいけないという意味でした。

「荘厳な顔は三か月で覚えられる」。

外見でシスターらしくしても、内面が伴っていなければ空しい。

「質問のない人は恐ろしい」。

自ら求める人でなければ修道者にはなれない。

合同修練には、ノビスの教育係である修練長も一緒に出席していましたが、神父様は修練長様方にはいつも非常に皮肉屋で厳しかったですが、私たちノビスには厳しくても、その目にはいつも愛情があふれていました。

あれから27年。初誓願を立て、終生誓願を立て、立願25周年の銀祝からも、早くも2年たってしまいました。しかし、どれほどイエス様の弟子としての覚悟をもって修道生活を送っているでしょうか。ふと気が付けば私も立派な「いのししシスター」かも。

しかし今日の福音箇所からは、イエス様のお考えがはっきり読み取れます。

まず、独りよがりにならないこと。「自分を受け入れてくれない人を滅ぼそうなんて考えてはいけない。人それぞれに様々な考え方があり、どれが正しいかは神様にしかお分かりにならないのだから」。

「私に付いてきても、期待するようなことは何もないかもしれないよ。特に、生活の安定は」。

そして神様を最優先すること。「たとえよい心で行うよい行いだとしても、優先順位は常に神様が一番だよ」。

神様、確かに私は初誓願によってこれらを約束したのでした。まさに「鋤に手をかけ」たそのミサの主司式は、中井神父様でしたね。今も、きっとあなたのもとであなたと共に、私たち元ノビスをあの優しいまなざしで見守ってくださっていることでしょう。 (Sr.斉藤雅代)

 

≪聖書箇所≫ ルカ 9:51-62

イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。そして、先に使いの者を出された。彼らは行って、イエスのために準備しようと、サマリア人の村に入った。しかし、村人はイエスを歓迎しなかった。イエスがエルサレムを目指して進んでおられたからである。弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言った。イエスは振り向いて二人を戒められた。そして、一行は別の村に行った。
一行が道を進んで行くと、イエスに対して、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言う人がいた。イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」そして別の人に、「わたしに従いなさい」と言われたが、その人は、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。イエスは言われた。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」また、別の人も言った。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた。