7/7 若い人のための日曜日の聖書  年間第14主日 ルカ 10:1-12, 17-20

お元気な頃、桜の聖母短大のクリスマスの集いで、≪メサイア≫の指揮をしてくださいました。

「収穫は多いが、働き手が少ない」。

この言葉を聞いて、音楽家になる道を修道司祭になる道に変更した友人、S神父様。年齢は私より1か月お兄さん。ピアノと歌がうまく、スポーツマンでアウトドア派でもありました。活動的で地に足の着いた司祭として活躍できるはずでした。

ところが…40代でパーキンソン病であることが判明。少しずつ活動を奪われ、療養に専念せざるをえなくなっていきました。

この方の召命のきっかけとあまりにかけ離れた今の状態に、かける言葉がありません。「神様、ひどいじゃないですか」と私はついつい文句を言いたくなります。

しかしご本人はいたって明るく、できる範囲で一生懸命生活しています。その姿を見ていると、彼がいかに神様から特別な仕方で愛されているかが伝わってきます。

「神様のおもちゃ」「神様の道具」…聖人たちはそんな言葉で祈っています。「おもちゃ」であり「道具」ですので、神様の意のままに、使われることもあり、使われないで埃をかぶることもありでしょう。素晴らしいなあ、と憧れながらも、同じようには祈れない私です。そして、ついつい自分ばかり働いて損をしたような気分になる私です。

「私は取るに足りない婢です。しなければならないことをしただけです」(ルカ17:10)と、収穫のために働いて、なおかつあなたに感謝できる者に、どうぞ私を変えてください。   (Sr.斉藤雅代)

 

≪聖書箇所≫ ルカ 10:1-12, 17-20

(そのとき、)主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。そして、彼らに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へと渡り歩くな。どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。しかし、町に入っても、迎え入れられなければ、広場に出てこう言いなさい。『足についたこの町の埃さえも払い落として、あなたがたに返す。しかし、神の国が近づいたことを知れ』と。言っておくが、かの日には、その町よりまだソドムの方が軽い罰で済む。」
七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」イエスは言われた。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」